文学部投稿論文

臺灣媽祖と日本河童      2005/08/13

台北かっぱ村  林 錦松

 中国に於いて,日本の民間で伝承されている河童のように,ある程度人間の智慧を持ち遊び心をもった,しかも二脚で立つて水陸に棲む擬人的な生き物と言えば,西暦629年の秋, 玄奘三蔵法師が西安(昔の長安)からインドへ向かった時,あの冒険に満ちた西遊記の伝説の中にある, 玄奘を護衛した悟空,八戒,さごじょう沙悟淨,今で言えば陸海空,悟空は空を飛び,八戒は陸を駆け回り,沙悟淨は水中を潜った。  その沙悟淨が日本の描く河童と一番近い性質を持っていたと,私は思います。
 しかしその沙悟淨は当時キュウリが好きだとか,人の尻小玉を抜くようなことはしないが,酒と女は好きのようでした。 つまり遊び心があって日本伝承の河童とよく似てるところがありました。

 台湾には本来,日本の河童のような可愛らしいいたずらこい擬人的な生き物は存在しませんでした。 しかし日本では水虎(すいこ),台湾では水鬼(すいき)と呼ぶ化け物がございます。

 水鬼(すいきと呼ぶ)は元々中国の妖怪であり、その名前が日本各地に伝わり、独特の言い伝えができたり、 その地の河童と融合したりしたと思われます。
 台湾の水鬼は市井に廣く知られており,通常川に溺れた人,つまり溺死者の幽霊を水鬼と呼んでおりました。 台湾の水鬼はその川端を通る運の悪い人を水の中に引きずり込み,幽霊の身代わりとして置くことで、 これによって旧き水鬼の幽霊が,そこから抜け出すことが出来ると言うことです。
 水の中に引きずり込まれた新しい水鬼の幽霊は,また別の人を水の中に引きずり込まないと, その幽霊は何時まで経っても川の中で迷い続けなければならないのです。

 このように台湾伝承の水鬼はイメージが悪く人に好かれず,怖がれているのです。このイメージを変えることは なかなか難しいですが,それに代わって新しいイメージを持つかっぱ(河童ホートォン)という名を 台湾に伝えて行きたいと思っています。
 そもそも「河童」ホートォンという漢字の意義は,河のわらべと言うことで川辺に遊ぶ子供達を意味するものですから, 可愛らしい子供達がわいわい川辺で戯れている情景を描くようなものです。 従ってこの言葉「ホートォン(北京語)」は台湾の一般民衆に受け入れやすいと私は信じております。
 もともと「かっぱ」という言葉は台湾から日本へ伝わってきたと思います。 私たち台湾人の祖先は,昔中国の河南省一帯に住み、当時付近の河川に「河伯」と呼ぶ水妖がありました。 後に戦乱のため私たち祖先は福建省へ移住し,約四百年前に一部の男達が単身で台湾に渡航してきました。 そして現地の原住民「平埔族」の女性達と結婚し,今の台湾人子孫を作りました。
 原語「河伯」の台湾語の発音は,「かわぺ」であり,それが黒潮に乗って日本九州に上陸した漂海民によって 「ガラッパまたは、かっぱ=河童」(擬音語)という名が付けられたと思います。

 次に台湾の媽祖と日本の河童とは、どういう関係があるかと申しますと、台湾のまそ媽祖は, 福建から伝われてきた信仰で海の女神と言われ,昔,海難に遭遇した多くの人を助けたと言う伝説があり, 今では特に漁業に携わっている者達が航海の安全と安産の神として祀られている女神です。 媽祖は,慈悲深い女神で溺れた人々を救い,航海の安全を守る有り難い神様です。
 ここで、台湾の媽祖と日本の河童の関わりについて、ちょっと面白いお話しをしたいと思います。

『昔昔,福建省に流れるある美しい川辺に三蔵法師の護衛を務めたさごじょう沙悟淨の孫達が, 戯れ遊んでいました。
 そのとき一人の若い美しい女の子がその川辺を通りかかったところ, そこで遊んでいたさごじょう沙悟淨の孫達がその女の子を囲い体に触れたり,弄ったりして虐めていました。
 女の子は恐怖に落ちおおごえ大声で助けくれ!助けくれ!と叫びました。 すると向こうから一匹の大きい虎が現れ,こちらに向けて襲いかかってきました。 さごじょう沙悟淨の孫達はそれを見て吃驚して河に跳び込み逃げました。 その中の一匹の沙悟淨が女の子を庇い河の中へ引きずり込みました。 すると空が真っ暗になり,竜巻が起こり河の水が荒れ狂い,今まできれいだった川水が濁り,水位も段々と減っていきました。 さごじょう沙悟淨の孫達は力が抜き苦しみのあまりに岸に上がりワァワァと哭き出しました。 間もなく空が晴れ媽祖がさごじょう沙悟淨の孫達の前に現れ,こういうように言われました。 「沙悟淨よ女を見て虐めるなよ,清き心を持ちて遊びなさい」 と言われました。
 さごじょう沙悟淨は自分の過ちを認め,自分の拳で頭頂を叩き謝りました。 だが余り強く打ったため、頭頂に凹の皿が出来、そこへ媽祖がその頭の凹に水を与えましたところ, 急に元気が出てキャッキャッと声を出して河の中へ跳び込みました。 同時に河の水位は戻り,水はきれいになりましたが,先の女の子が見つかりませんでした。 女の子を庇い河へ引きずり込みましたさごじょう沙悟淨は,強く自分の過ちを感じ海の川口に向けて女の子を捜し 続けました。 知らず内に海の中へ泳ぎ込み海流に押されて,とうとう台湾の沖まで流されてしまいましてた。 そこは丁度台北淡水河の河口で,大変疲れたので岸上に上がって一休みしました。 間もなく又あの女の子の行方を案じ、淡水河に飛び込み海へと泳ぎました。 数日間続けて泳いだことで、すっかり疲れ切ったさごじょう沙悟淨は遂に力が尽き,背中の骨が剥き出し, それでもあの女の子を救う心を忘れず、波の上に浮かび死の間際でした。 その時海の女神媽祖がまた現れ,さごじょう沙悟淨の清き心に動かされ背中に肉付きの甲羅を与えました。 すぐ元氣になった沙悟淨は黒潮に乗って,九州西域にたどり着きました。 そして球磨川という河口に上陸した沙悟淨は急に眠くなり,色んな甘い夢を見た後ふと目を醒めると、 軟らかい女の腿にもた凭れている自分に気が付きました。 なんとそれは自分が探していた女の子でした。 これは夢かと疑いましたところ、傍には一基の石碑があり「オレオレデライター」音訳しますと 「我們終到這裡来了」"私達は、最後ここに辿り着けました"という意味でした。 つまり、私達はとうとう河川のきれいな国に辿り着きました。
 沙悟浄は後にかっぱたいしょう河童大将くせんぼう九千坊という名前が付けられたそうです。 そして陰で現在の河童共和国を創りました。
 人間万歳! 河童万歳! ガラッパ万歳! 奇哉キャッ 奇哉キャッ (漢文の意味は、怪しいかなとも言えるし、 素晴らしいとも言える)。』

                   終わり(2002年京都「世界水のホーラム及び河童談義」の場において発表)




河童大学トップメニューへ