文学部投稿論文

河童は時代を映す     
 2007/07/03

河童大学学長兼文学部長  佐々木 篤

 ・河童は日本固有のものか

 恒例になっている河童連邦共和国のサミットにて、アトラクションの一つとしてディベートをしました。

 テーマは、『河童は日本古来のものか、それとも渡来のものか』でした。

 そもそもが、日本の民族である『大和民族』自体が、渡来民族なのですから、このテーマは、本来ナンセンスなのですが、それでも、主催者側から指名されたので、私は『渡来説』を持ってパネラーの 一人として参加しました。

 たまたまかも知れませんが、『古来説』側は、『(現在確立している)河童の姿』と、『河童』という名称にこだわっていましたので、『渡来説』側としては、『水の神もしくは、水の妖怪』としての『ルーツ』の検証を持って 反論し主張しましたので、ディベートその物は、楽々と勝っていると思いました。現代の河童のイメージでルーツを説くのは無理ですからね。

 本来、河童を論じる場合、現在の一般的なイメージとしての河童(甲羅があり、頭にお皿がある河童)や、河童という名称にこだわっていたのでは、河童の本質は見えてきません。

 人にとって、生きてゆくうえで無くてはならない飲料であり、作物を育てるに欠かせない物であると共に、暴れると人に害をなすのが水です。河童はその一種の化身であり、神であり、妖怪であるのです。

 ・キャラクターとしての河童

 古来より連綿と続く、河童の心の論議は別に譲るとして、今回は、形としての、キャラクターとしての河童を論じてみたいと思います。

 まず、現在一般的な河童の形としてのイメージは、『頭にお皿がある』『背中に甲羅がある』『4・5歳の男児くらいの大きさ』『着衣は着けていない』といったところでしょうか。

 では、これは、何時ごろ定着したものなのでしょうか。

 各種の資料を調べてみると、少なくとも江戸時代の後期までの『河童(必ずしも河童とは書かず、呼び方にも各種あるが)』は、上記の様な姿をしているとは限っていません。

 おそらく、民俗学的な志向が高まった明治から大正、昭和の初期あたりで確立したのではないかと、私は思っています。

 そしてそれは、新聞を初めとした印刷マスコミの力から、日本全土に広がり、日本人が生み出したオリジナルな『キャラクター』として定着したいったと思われます。

 河童の姿は、日本文化が独自に生み出した、日本人共通の財産である『キャラクター』なのです。

 ・時代が河童の姿を変える

 さて、それでは、この河童の姿やイメージは古来変わっていないのでしょうか。

 江戸時代以前の河童については、全国的な統一されたイメージではないので、検証は明治維新以後に限定したいと思います。

 江戸から明治に入った当時、地域格差が大きく、かろうじてその姿は現在の河童のイメージに近く定着しつつあるものの、まったく別のものから河童に 集約したと考えた方が良い例が見られます。

 一つは、柳田國男先生の遠野物語に出てくる河童です。特徴的なのは、肌の色が『赤い』く、単独もしくは天狗のような、鼻の大きな大男といっしょに見かけられている。 そして対極が九州の河童。大群を率いて日本に渡ってきた『渡来派』の河童です。そして、東京(江戸)の河童。妖怪的であり、不気味で悪さをする怖い河童のイメージです。

 この明治から昭和にかけての河童は、小川芋銭が描く河童絵が有名です。亀のようでもあり、獺のようでもある水生の河童です。当時の河童のイメージとしては、平均値的だったのでしょう。

 次に、河童のイメージが激変するのは、昭和30年代です。

 漫画家の清水崑画、『かっぱ天国』を新聞に連載しました。これが大流行します。そのイメージは、ちょっとお気楽な性格の男女の若者を中心とした滑稽な河童です。

 戦後の復興期、平和な時代を先取りするかのような清水崑河童は、まさに、当時の国民の気分を、河童の姿に写したのではないかと思います。

 そしてその次に現れた河童は、これも漫画家である小島功による『黄桜』の河童です。昭和50年代から現代まで続いています。

 河童が小さな子供の姿であるというイメージを打ち破り、豊満な女性の裸体をイメージした色っぽい河童です。

 高度成長を達成し、経済的に豊かになった日本人が求めた河童の姿が、黄桜河童なのです。

 そして今、かわいらしい河童が、子供たちや若い女性の間で流行りはじめています。明らかに河童をイメージしたキャラクター商品が、ファンシーショップに並ぶようになって数年も 経っています。

 そして今年、毎年恒例の、夏休みの子供向け映画に河童が登場しました。『河童のクウと夏休み』が、7月28日から上映が開始されます。

 まだ、映画は見ていませんが、すでに発表されている写真やストーリーのあらましなどを読むと、姿はオーソドックスな河童ながら、妖怪や魔物ではなく、心優しい河童と それを取り囲む人達のお話のようです。

 大気汚染や温暖化の問題、薬物の問題やいじめ、少年犯罪などなど、現代の日本は病んでいます。そんな日本に、今必要なのは、豊かな自然環境への回帰と心の『癒し』であると 思います。河童が、世の中を写すキャラクターであるとすると、今まさに、『癒しの河童』を日本人は望んでいるのでしょう。無意識ではあるとしても。

 ・愛すべき存在、それが河童

 民衆の大半が、幽霊や妖怪、魔物を信じていた明治時代以前ならばともかく、現代人にとって妖怪はあまり身近な存在ではありません。水木しげるの妖怪人気は別格として、 その他で妖怪が語られることはほとんどありません。唯一、例外なのが河童なのです。

 全国的な規模の河童の愛好者の団体が複数存在し、地域的な河童村も多数存在する。観光地に行くと、河童のお土産が売られており、有名な陶芸の街には、必ずと言っても良いほど、河童の焼物を 製作する陶芸家がいて、かわいらしい河童の置物が売られています。

 なぜ、河童だけが、こんなにも、日本人に愛されているのか。

 その理由を明確に言えるほどになるには、まだまだ勉強が足らない私ですが、まあ、いいじゃあないですか。好きなんだから。

 私にとって河童は、愛すべき存在なのです。それで良いのです。ねえ、みなさま。





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