文学部投稿論文

河童に求められるもの      2007/07/09

河童大学学長兼文学部長  佐々木 篤

 ・江戸時代に妖怪が大流行

 江戸時代、世界でも類を見ないほど識字率の高かった日本、特に江戸と大阪京都では、一般庶民向の書籍出版が盛んでした。

 大人向きの娯楽本である黄表紙などのほかに、子供向けの絵草紙や、一枚物の刷り物が、ちょうど現代の漫画本のように売られていたそうです。

 出版にたずさわっていたのは、もちろん、利益を得ることを目的とした商人です。現代以上に利益にはさとく、売れるものなら、あぶない絵や本まで(現代で言えばアダルト物とでも言いましょうか) 盛んに出版されていました。

 そんな中で、いつ出版しても良く売れたのが、子供向けの妖怪絵だったそうです。

 百鬼夜行、実際に百種類はなかったようですが、多くの妖怪が夜道を歩く。そんな絵が、子供玩具絵として、あるいは、子供向けの土産にと売れたようです。

 なぜ、妖怪やお化けが人気が高かったのでしょう。

 理由の一つが、実際に存在する妖怪やお化けの絵ではなく、作者が自由に想像力を働かせ、ユニークな妖怪やお化けを誕生させたからではないかと思っています。

 子供にしたら、怖いもの見たさ。そんな気持ちが強かったのでしょう。

 また、多神教である神道がベースになっている日本人だからとも言えるでしょう。もし、一神教のキリスト教やイスラム教だったら、妖怪など存在し得ないのですから。

 想像上の産物でしかない、妖怪やお化けの絵を見て楽しむ、唯一とは言えないものの、日本独特な現象なのかも知れません。

 ・明治維新後怪談奇談が新聞紙面を賑わした

 明治維新は、政治形態が封建制度の幕藩体制から、官僚制度の天皇神政に変わっただけではなく、キリスト教を根幹とした西ヨーロッパ文明が恕等のように押し寄せた、文明開化を 伴っていました。

 かつて、仏教が伝来し、それまでの価値観や文化が、革命的に変化した。日本文化の変遷という見地から見ると、明治維新は、まさに仏教伝来に匹敵するような、 大改革でした。

 国家神道を最上のものと位置づけ、仏教が排斥され、大半の寺院が壊され、科学的な発想や工業的な製品がもてはやされた。古来の言い伝えや迷信などは排他されたはずでした。

 そんな、文明開化の恩恵の一つが、新聞の発行です。大都市だけではなく、全国に数え切れないほどの新聞社が設立され、新聞が発行されました。

 今で言う家庭欄もしくは地域ページでしょうか。ローカルな話題が、コラムとしいて扱われ掲載されました。そんなコラムに、妖怪を見た、不思議な物を見かけた。そんな記事が、 驚くほど多く掲載されています。その内容たるもの、とても信じられないうような、嘘としか思えない内容が、あたかも事実を報じるニュースのように、紙面を飾っています。

 今では、そんな記事を新聞紙上で見かけることはほとんど無くなりましたが、あの現象は、いったい何だったのか。

 ・戦後の『かっぱ天国』フィーバーと黄桜の河童

 昭和30年、清水崑氏による漫画『かっぱ天国』が週刊朝日に掲載され大ヒットしました。

 カッパの姿を借りた、若い男女が、世相を反映した各種のテーマで画面を所狭しと動き回る。これまでのカッパの姿を180度変えてしまう事件でした。

 昭和30年というと、朝鮮戦争による特需が日本を潤しい、戦中に疲弊した日本経済がめざましい復興をとげつつある時期です。この数年後には東京オリンピックも開催されました。

 世の中が明るくなりつつある時期です。おそらく、年配の方から見ると、経済成長を謳歌している若者たちがいまいましくも見えていたのでしょう。若者の生き生きとして生態と、ちょっと皮肉も込められた 世相漫画です。

 この清水崑河童に目を付けたのが酒造会社の『黄桜』です。CMキャラクターとして採用し人気に拍車をかけました。

 そして昭和49年、清水崑氏がお亡くなりになり、『黄桜』の河童は、漫画家小島功氏に引き継がれました。

 妖艶な裸体の美女河童を中心とするキャラクターです。どこかのほほんとした清水崑河童とは、明らかに違った雰囲気の河童です。

 この昭和49年頃というと、高度成長がひと段落、オイルショックを経験し、一種の成金バブルから、落ち着いた地に着いた成長の時代に入っていた頃です。 どこか西欧風の豊満な美女。時代がそんな女性を求めていたのでしょう。そんな欲求が、河童にも求められ、黄桜の河童が生まれたのだと思います。

 ・水木しげると妖怪たち

 水木しげる氏の『ゲゲゲの喜太郎』がテレビアニメとして放映を開始したのは、昭和43年です。

 大人気となったこのアニメが、60年近くもなりを潜めていた妖怪ブームを再来させました。水木しげる氏の世界では、河童も、妖怪の一つとして扱われていて、 テレビ映画『妖怪大作戦』では、河童の三平が大活躍をしました。

 ただ、水木しげるの河童は、あくまでも妖怪です。一部の妖怪愛好者には、大絶賛を持って迎えられましたが、清水崑・小島功と続いた、アットホームな、『かわいい』、『きれい』な河童とは、次元を別とした河童です。 河童の社会的なイメージとしては定着していません。あくまでも、水木しげるという才能が生み出した妖怪ブームであり、河童の三平です。求められての河童ではなかったことが、定着しなかった理由でしょう。

 また、遠野はもちろん、上高地ではかっぱ橋にからみ、キティキャラクターの河童の土産物が人気を呼びました。アランジアロンゾの河童グッズシリーズや大阪発の『ものごいかっぱ』も、子供だけではなく、むしろ、 若い女性にもてはやされています。

 昭和中期から平成の現在まで、時代が要求した河童のイメージは、『かわいい』が主流だったのです。

 ・これからの河童

 現代のわれわれは多くの問題を抱えています。

 世界的な政治の不安定さ、経済格差を初めとする経済的な問題はさておき、地球温暖化による自然環境が大きく変化しつつあることは、明らかに気候が数十年前とは変化していると実に感じられる ほどです。

 地球規模での変化ですから、その変化もまた自然であるとの認識もできます。しかし、これまでの環境に適合するようにわれわれの身体はできています。新しい環境には なかなかなじめ無い。いずれは適合するとしても、かつての環境がなつかしく思われるようになるのは自然です。その変化を少しでも押さえ、できることなら、昔に戻したい。そう思うのが人情です。

 今、『環境保護』は、専門家や政治家、行政を担当するお役人だけではなく、市民レベルにまで、広く関心が向けられています。

 時代が、方向性を変え、しかもそれが明確になってきているということです。

 河童は元々水辺環境の生き物です。想像上とは言え。これからの河童に求められるものも、ただただかわいいだけではなく(その流れも引き継ぎながら)、復古調を基本とし、 水辺環境の保全と保護を表現するようなものになってゆくだろうと思われます。

 2007年の子供向け夏休み映画として、『河童のクウと夏休み』がリリースされます。

 数百年前の河童の子供が生き返り、現代の人間の子供と共に河童が多く住んでいたという、遠野を旅する物語です。河童のキャラクターも、 古い河童のイメージを持ちながら、かわいらしく描かれています。

 この河童のイメージは、これからの時代が求める河童のイメージに、かなり近いものではないかと思っています。





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