岩手県
カッパの淵                      岩手県閉伊地区

 閉伊(へい)川の腹帯(はらたい)の淵を歩いていた娘は、近寄ってきたカッパに声を掛けられた。
「あねさん、御行(おぎょう)の淵へ行くんべ。おれの兄きがいるから、こいつを渡してけろ」
 手紙を渡された。
 受け取った娘は、恐ろしくて、逆らうことはできず、とぼとぼと、御行の淵の方へ歩いて行った。道の中ほどまで来ると、道端の木陰で休んでいた坊さんに呼び止められた。
「なにをそんなに考え込んでいるんじゃ」
 娘が、カッパから預かった手紙の話をすると、手紙を見せろという。見せると、
「これは危ないところだった。わしが書き換えてやる」
 書き直した手紙を持った娘が御行の淵に着くと、カッパが待っていて、手紙を渡せと言う。渡すと、読んだカッパは、怒り出したのだが、しかたがないと思ったのか、手紙に書かれた通り、金を娘に投げつけると、淵に飛び込んで消えてしまった。娘は、金を拾い、逃げ帰ったとのことだった。
    (佐々木喜善著 聴耳草紙より)

解説:柳田國男の著作『遠野物語』の27に、良く似た話が収録されていますが、旅人は男性であり、現れたのはカッパではなく娘。もらったのは金ではなく、黄金の出る石臼です。遠野物語は、佐々木喜善氏の話が基ですので、なぜ、相違が有るのかが不思議です。
陀羅尼経と山伏修行                岩手県岩泉町

 むかし、安家のイワイノ沢の『ドウヤ』という家に山伏どんがおりました。その息子は、武芸に優れた力持ちでしたが、修行を嫌がっていました。
 ある日、安家川にかかる端を渡っていると、橋の真ん中あたりで、二人の裸わらしにわき腹をつかまれました。「は、これがカッパか」、よけようとしましたが、怪力で跳ね飛ばされそうになりました。息子とカッパは、とんず、くんず、相撲を取ることになったのです。
 武芸と力に自信のある息子ですが、カッパに負けそうになりました、そう思ったとき、百句の陀羅尼経の存在を思い出しました。しかし、その経文がわかりません。息子は一心に、「陀羅尼経、陀羅尼経」と繰り返しました。すると、カッパの力がへなへなと抜け、安家川の中に逃げてしまいました。
 この一件があってから、息子は山伏修行に精進し、法力を備えた立派な山伏どんになったということです。
      (岩田書院:「河童を見た人びと」)

解説:この地方に実際にあった家に保管されていたという、陀羅尼経の経文に関する伝承です。現在は絶えてしまい、経文も見つからないそうですが、少しずつ形を変えた伝承が、この地域に残されています。
かっぱ淵                          岩手県遠野市

 むがすあったずもな。むがす、土淵に新屋敷という家があったと。その家の裏に、大っきな淵があって、ある夏のぬげぇ日に、馬の足ぁほどるからって、裏の淵に馬冷やしにいったと。ちょこっと目をはなしたすきに、馬ぁ、ズルッと、川中さ引っ張り込まれてしまったと。そしてら、馬ぁ、たまげてしまって、ガッパと、家の馬屋まで馳せ帰ったと。
 若ぇ者が馬屋に行くと、馬の鼻息が荒くなっていたと。みると、馬のふねぁひっくり返っていて、その牛路から、わらすコの手のようなものみえたと。手っコに、水かきがあったと。
 馬のふねひっくり返してみると、わらすコのようなものが、「助けでけろ」としゃべったと。かっぱだったとさ。
 「二度と、この淵にきて、悪さしてなんねじょ」と、旦那さまぁ、血判書をとって、逃がしてやったと。それからというもの、村の人や、馬なんどに、いっこ、悪さしなくなったとさ。どんどはれ。
  (ぎょうせい社版『日本の民話』より)

解説:『河童駒引き』の原型になった民話と思われます。地元の口語表現を良く伝えています。
かっぱ淵                          岩手県沼館

 むかし、沼館の男が八戸へ行くべと、八太郎沼の淵をあるいておった。すると、沼底から水がわき、若者がひょっこりと現れ、「おまえ、どこさ行く」と聞いた。「おら、町さ行く」とこたえると、「八戸の勘太郎堤にいる友達に手紙を持って行ってけろ」と言って手紙をわたされた。
 男は、その手紙を懐に入れ、町まで行ったと。六部が来たので、「勘太郎堤はどこにある」と聞いたら、六部はけげんな顔をした。「めったに人の行かんところだ。やめとけ」そこで男は、約束のできごとを話した。六部は考えていたが、「手紙を俺にみせろ」と言った。手紙は真っ白で何も書いていなかったが、六部はそれを小川の水につけた。すると文字が浮かびだした。「とっつかまいて食うてしまえ」そこで、六部は「かっぱの手紙じゃ。手紙を書き換えてやら」六部は、かぼちゃの茎を筆にして手紙を書いた。「礼として、おまえのもっている宝をやってくれ」
 男は、六部と別れ、勘太郎堤に行った。たんたんと手を三つたたくと、若い男が現れ、手紙を読んで、不思議そうだったが、「一代物がええか、それとも二代物か」と聞いた。二よりも一の方がよかんべと思い、「一代でええ」とこたえると、石の挽臼をくれた。
 この臼を回すと、ぞろぞろと米が出てきた。男の暮らしはみるみる良くなった。しかし、男のかかあが欲を出し、穴が大きければ、もっと米がでると思って、臼の穴に火箸を入れてえぐりまわしたところ、臼が怒って、秋田へ吹っ飛んでしまった。にわか長者は一代で終わり、秋田は米どころになったそうだ。
    (角川書店 『日本の民話』より)

解説:遠野物語にも掲載されている河童の手紙に類似の民話です。臼が、一代物(一代だけで、次の代には引き継がれない)であり、それが秋田に飛んでいったから、秋田が米どころになったとは、面白い発想です。