河童のわび 宮城県仙北地方 吉本(もとよし)郡に住んでいた河童は、いたずらが過ぎ、とうとう、村人から追い出されてしまいました。しかたなく河童は、仙台の町に出て、旅籠に泊まっていましたが、その年は例年にない暑い夏だったので、みんなが「あついあつい」といいました。そこで河童は、 「んだば、おいらがすずしくさすべ」と、術を使って曇りの日を続かせました。町のひとびとは、「しのぎいい夏だす」と喜んだのでした。 秋まで遊んだ河童は、町の人から、みやげものをたくさんもらって吉本に帰ってきました。 里まで帰ってくると、人々があつまってきて、いきなり河童をなぐりつけたのです。 「術ばつかって曇り日ば続かせたんで、田んぼはみなかれてしまったべ」 河童は、悪かったと、里の人々にわびを入れたということです。 (未来社版『日本の民話』より) 解説:まるで、河童という姓を持つ人間のような扱いの話です。河童の姿のまま旅籠に泊まったりしています。また、いたずらをするために、一種の幻術を使う河童は見受けられますが、天候を左右する、『神様』のような術を使う河童は珍しいと思います。 |
磯良河童 宮城県仙台市 みちのくの王者、藤原秀衡の厩につかえる小物がいた、名を虎吉といった。 虎吉は馬のあつかいがうまく、夕方には馬を引いて北上川の川原で洗うのを日課としていた。ときどき、人目が無いことに心をゆるし、虎吉は自分も川へ入った。いつしか、かっぱの正体をあらわし、水中を自由に泳ぎまわった。 あるとき、秀衡が河原にさしかかり、虎吉の正体と見てしまった。見られては、もはや奉公もかなわぬので、暇願いをした。だが、勤めぶりが良かったので、秀衡は別れに持仏の十一面観音を与えた。 仏像を肩ににない、住み慣れた平泉を出た虎吉かっぱが、真山村にくると、田小谷の沼のたたずまい、沼に住む女かっぱの美貌が心にかない、そこに腰をすえた。 月夜になると、おおぜいの子どもかっぱと土手にあがり、相撲やつなひきなどをしてはしゃいでいたとのことだ。 (山田書院版『傳説と奇談第14集』より) 解説:磯良神社の神主は、河童の子孫と伝えられ、姓も『川童』となのっているとのことです。それにしても、この民話は河童も人も優しい。嘘や騙し、悪いテーマが多い九州の河童民話に比べ、東日本の河童伝承は、ほのぼのとしています。 吉本(もとよし)郡に住んでいた河童は、いたずらが過ぎ、とうとう、村人から追い出されてしまいました。しかたなく河童は、仙台の町に出て、旅籠に泊まっていましたが、その年は例年にない暑い夏だったので、みんなが「あついあつい」といいました。そこで河童は、 「んだば、おいらがすずしくさすべ」と、術を使って曇りの日を続かせました。町のひとびとは、「しのぎいい夏だす」と喜んだのでした。 秋まで遊んだ河童は、町の人から、みやげものをたくさんもらって吉本に帰ってきました。 里まで帰ってくると、人々があつまってきて、いきなり河童をなぐりつけたのです。 「術ばつかって曇り日ば続かせたんで、田んぼはみなかれてしまったべ」 河童は、悪かったと、里の人々にわびを入れたということです。 (未来社版『日本の民話』より) 解説:まるで、河童という姓を持つ人間のような扱いの話です。河童の姿のまま旅籠に泊まったりしています。また、いたずらをするために、一種の幻術を使う河童は見受けられますが、天候を左右する、『神様』のような術を使う河童は珍しいと思います。 |