河童のくれた壺 千葉県市原郡 むかし、むかし、源左衛門というよく働く百姓が、ある暑い日に養老川の近くのキュウリ畑をうなっていました。すると、川の中から、七つか八つくらいの、子供が出てきて言いました、 「おれは河童でキュウリが大好物だからよ、くれればお礼に宝の壺をやっぞ」 うるさくつきまとわれ、仕方がないのでキュウリを投げてやると、河童はそのまま姿を消しました。 家に帰った源左衛門が、翌朝庭に出て見ると、水鳥に似た足跡がたくさんあり、馬小屋の方につづいていました。足跡をたどって行くと、馬小屋の桶が伏せてあり、起こして見たところ、小さな黄色い壺が入っていました。 「これは、河童が約束した宝の壺にちげえねえ」 壺にはお金が二枚入っていました。お金が必要になっとき、一枚使ったのですが、後で見ると、もとと同じに二枚入っています。 その後も、一枚使うと、必ず二枚になっていました。 貧乏だった源左衛門は、お金持ちになりました。ところが、何代か後の人に、金遣いの荒い人がおりました。ある日、壺の中のお金を、二枚ともつかってしまったところ、それからは、二度と元の通りにお金は出なかったとのことです。 (未来社版『日本の民話』より) 解説:伝承ではなく、昔話です。しっかりと、説教が入っています。壺が、馬小屋の伏せた桶に入っているなど、『河童駒引』に、なんとなく似ています。 |
かぶだれ餅をなぜつくか 千葉県市原市 あるところに乞食がおって、神社の縁の下に寝ていた。すると、夜中に神様が出てきて 「今夜は、お産があるかん行って来るべえ」 とでかけていった。そして、もどってくると、隣の神社の神様がやってきて、 「お産は、男ですかい、女ですかい」 と聴いた。 「それがな、男の子が生まれたんじゃけんが、かわいそうに、その子は、七つの祝いに河童に川に引きずり込まれる寿命なんじゃよ」 と答えた。これを聴いていた乞食は、翌朝、お産の有った家に行き、神様の話を教えてやった。 話を聞いた親は、その子の七つの祝いの日に、かぶだれ餅をついて、その子にへしもん(いっぱい)背負わせて、川っぷちに連れて行き、親は草陰に隠れて見守っていた。 すると、河童が川の中からでて来た。男の子は、親からいいつけられていた通り、河童めがけて、餅をどんどんほうり投げた。 河童は餅が大好きなので、夢中になって餅をひろって食べた。すっかり腹いっぺになった河童は、げっぷをしながら、 「もう、この子を食う気は無くなった」 といって、川の中に姿を消してしまった。 それから、このあたりでは、『かぶだれ餅』は、男の子を河童から守るおまじないだって、言われるようになったんだってよ。 (千秋社版:続・千葉県の民話) 解説:河童に食われる寿命が決まっている男の子を、餅で救う話は、上州など北関東にも類似の民話があります。食われるのは、なぜか男の子ばかりで、女の子の話を知りません。何か理由があるのでしょうか。研究の余地がありそうです。 |
ゴンの宮は河童さま 千葉県富津市 昔、富津のあたりに、多助という働き者の百姓がおった。夫婦で田うないをしていて、お茶時に女房が家に戻ったはずなのに、見ると、田に女房がいる。声をかけるるのだが、返事は無く、後ろからお茶を持った女房の声がする。もう一度、田を見ると、だれの姿も見えない。 「河童がいたずらをしているにちげえねえ」気の良い多助は、川に茶菓子を投げてやったりしていた。 ある日、田んぼの向こうで、若い者が騒いでいた。かけつけてみると、河童がつかまっていて、半死半生に殴られていた。かわいそうに思った多助は、河童を引き取り、看病をしたが、死んでしまった。そこで、墓をつくり、あんころ餅やら花などを供えてやっていた。 ある夏、ひどい日照りになり、田の稲も枯れかかった。村人たちは、雨乞いの祈りをしたが、雨は降らない。ところが、多助の田だけは、いつも水がいっぱいだった。村人たちは考えた。多助は河童の墓を守っているからだと。 村人たちも、河童の墓に、あんころ餅をあげ、花を供えて拝んだ。すると、黒い雲が海の方からわいてきて、恵みの雨を降らした。 村人たちは喜び、墓のそばにお宮をたてた。それが『ゴンの宮』だということよ。 (千秋社版:続・千葉県の民話) 解説:神社の謂れに関する民話です。ちょっとしたいたずらはするが、悪いことはしない河童。その河童を、怖がりもしないで愛する農民。この地域の人たちの、優しさが伝わってくる民話ですね。 |
川太郎がっぱ 千葉県佐原市 利根川には、いろいろな河童がおったが、新島の川太郎がっぱときたら、それは羽振りが良かった。 この川太郎がっぱの縄張りで、いつも水草を取ってゆく若者がおったので、川太郎がっぱは怒っていた。 ある日、若者が水草取りをしているところを見つけた川太郎がっぱは、 「こらっ、おれ様にことわりもしねえで、水草を取って行くのはお前だな」とどなりつけた。 「やあ、こらあ、すまねえな。でもよ、おらの村には医者も骨接ぎもいねえんだ。それでな、水草を干して、傷を直すんだ。大目に見てくんねえ」 若者は、河童がでても、怖がる風も無く、振り返りかえりもしないで水草取りを続けている。 「しかたがねえなぁ。そんなら、おれがいい薬の作り方を教えてやるから、水草取りはやめてくれ」 若者は、さっそく家に帰り、教わったとおりに作った薬を試すと、それは効き目が良かった。 貼り薬に作り、毎日貼り替えて、十三枚目には、どんな打ち身も傷も治ってしまった。 薬は評判になり、「下総十三枚、正骨薬」と名付けられた。 村の者たちは、川太郎がっぱに感謝し、毎年、初物のキュウリに「カッパ棒」と書いてお供えするようになったのだそうだ。 (千秋社版:続・千葉県の民話) 解説:河童の傷薬伝承と胡瓜を供える謂れをとを複合した、良く出来た民話と思います。河童を怖がらないというのも、珍しい内容です。 |
河童のくれた証文 千葉県君津郡 むかし、むかし、環(たまき)の六所(ろくしょ)神社のさきに大きな淵がありました。 ある日のこと、その淵に住んでいる河童が、川を渡っている馬を見つけ、すきを見て飛びつきました。ところが、やっと尻尾につかまったところで引き上げられてしまい、馬方に見つけられ、河童はつかまってしまいました。 殺されそうになった河童は、 「これからはいたずらはしなえよ、だから命だけは助けてくんな、このつぎに逢ったときは、きっと証文を渡すよ」 河童に証文をもらえる、馬方は河童を許してやりました。 ある日、馬方はいつものように馬をひいて川を渡りました。すると、河童が出てきて、 「これが約束の証文だよ」 大きな石の棒を渡されました。そして、その後、河童はいたづらをしなくなりました。その石棒は、今でも六所神社のそばにあるということです。 (未来社版『日本の民話』より) 解説:始まりは昔話風ですが、場所が特定されており、証拠の『物』もある。この話は、昔話ではなく、伝承です。内容については、『河童のわび証文』として、広く流布している伝承です。 |