河童徳利 神奈川県相模東部 むかしむかし、茅ヶ崎の西久保に、五郎兵衛という馬方がありました。とても働き者で、正直なじいさんでした。 ある夏の夕方のことです。仕事を終え、愛馬のあおを間門川へ引き入れて体を洗っていると、芦の茂みから体をのぞかせ、あおの尻にしがみついているものがあります。 「お〜い、だれか来てくれ」 五郎兵衛は声を限り助けを求めました。聞きつけて、村の衆が集まってきて、怪物を生け捕りました。怪物は、そばの大木に括り付けました。しばらくすると、怪物は悲しげな声で言いました。 「わたしは、間門川に古くから住んでいる河童です。子供に良い餌をと悪さをしました。お許しください」 かわいそうになった五郎兵衛は、河童を放してやりました。 家に帰って、晩酌の酒に酔い寝ていると、夢の中に河童がでてきて、 「助けていただいたお礼に、酒が欲しいだけ出る徳利をさしあげます。ただし、徳利の底を、三つたたけば、酒は止まります」 目が覚め、雨戸を開けると、徳利が置いてありました。ためしに、酒をついでみると、また、元通りに口元まで酒が詰まっています。 酒に不自由がなくなった五郎兵衛は、来る日も来る日も囲炉裏端で酒を飲んで暮らしました。すっかり、怠け者になってしまったのです。 ある日、よっぱらって馬小屋に行くと、やせほそったあおが、いかにも懐かしそうに五郎兵衛に向かっていななきました。五郎兵衛は、はっと気がつきました。 「あの徳利のために、働く楽しみを忘れていた」 五郎兵衛は、徳利の底をポンポンポンと三つたたきました。酒はもう、一滴もでません。五郎兵衛は、また、村一番の働き者になりました。 その徳利は、今でも、西久保の三堀某家に伝わっています。 (未来社版『日本の民話』より) 解説:この話も、昔話の特徴と、伝承の特徴の両方を兼ね備えている例です。それにしても、自分よりもはるかに大きい馬を襲う話が多いのも河童民話の特徴です。小さな、鶏などを襲う、狐や狸の民話とは、大きく違う点です。 |
かっぱ火やろう 神奈川県秦野市 川原を上がって来たところの家で、酢を売ったり、こうやくを売ったりしている家があった。そこへかっぱが小僧になって川原を上がって来ちゃあ、「おばあさん、火ぃかしとくら。寒いから火ぃかしてくれ」って来るだって。 ある日、「この風のひでぇに、危ねぇからいけねえ」と断った。するとお爺さんは、「かーっぱだぁから、かしてやったっていいよぉ」っていわれた。お婆さんはあとを追いかけて、「かーっぱ、火ぃやろ」というと、「いえ、いえ」と、かっぱはいらねぇっていう。 それが、今度、芝居のもとになっちゃった。そでのでぇっかいのを着て、こっちやあっちに巻いたりすれば、それがかっぱだ。 (ぎょうせい社版『日本の民話』より) 解説:河童が、寒いので火を貸してくれという話は、他の地域にもあります。ただ、貸すというのにいらないというのは少し不思議。それと、最後の『芝居のもと』の話は、唐突であり、『三番叟』の衣装のことらしいのですが、関連性が不明です。 |
河童のくれたされこうべ 神奈川県武蔵 東海道筋の神奈川宿と青木町の境に、滝の川という小さな流れがあります。この川は、権現山から湧き出た清水が、滝になって流れ落ちていることから、滝の川と呼ばれています。 この滝壺には、主が住んでいて、東海道をのぼりくだりする人々に災いをするようになりました。 神奈川の宿で、若い衆や馬方に剣術の指南をしている浪人がいました。うわさを聞き、「諸人の災いを除くのは武士の務めじゃ」と退治することにしました。 馬子の姿に身を変えて滝壺に行くと、うわさ通り、得体の知れないものが現れました。大きな声で怒鳴りつけ、驚いて逃げようとするのを捕らえたところ、甲羅には苔が生え、頭の毛は白髪の大きな古河童でした。ぽかぽかと殴りつけると、 「どうかおゆるしください。さる1年前、うわばみが現れ、亭主の河童は戦いましたが殺されてしまいました。残された私は、二人のこどもをかかえ、苦労をしていたので、悪いとは知りながら、人間に悪さをしました。これからは改心しますので、お助けください」 「いつわりを申し、武士をあざむくのか」 「いつわりでない証拠に、大事な亭主の首をさしあげます」 河童の老婆を逃がし、家に帰って寝ていると、「ドスーン」と大きな音がして、なにかが投げ込まれました。見ると、大きな河童のされこうべでした。 このされこうべは、三ツ沢の藤巻なにがしという家で、今だに秘蔵しているということです。 (未来社版『日本の民話』より) 解説:お決まりの、悪さをして、許してもらう代わりに物をもらうお話ですが、それが、もらってもうれしくない、されこうべ(頭蓋骨)というのは珍しく、また、登場するのが、女性の河童というのも、特徴的な民話です。 |