山口県
かっぱとひょうたん                山口県佐波郡

 むかし、ある山里に、貧しいおじいさんとかわいい娘とが住んでいました。
 わずかばかりの田んぼは、遠く離れた山の中にありました。ある日のこと、苗を植えた田んぼに行って見ると。水が一滴もなくなり、今にも苗は枯れそうでした。青くなったおじいさんは、娘と一緒に山の下の堤から、タボをかついで田んぼまで水を運びましたが、とうてい、間に合いません。困っていると、一匹のかっぱが現れ、「わしが水を引いてやるで。礼にゃ、お前さんの娘を嫁にくれるかの」困っていたおじいさんは、「ふん、ふん」つい約束してしまいました。
 田んぼには水が一杯になりました。かっぱは、約束をはたすようにせまります。しかたなく、娘は嫁に行くことになりましたが。嫁入り道具にと、ひょうたんを三つ持って行くことにしました。迎えに来たかっぱに、「このひょうたんをはこんでおくれ」と背中にひょうたんをくくりつけました。「なんじゃこんなもん」かっぱは、ひょうたんを背負い水の中に飛び込みましたが、どうしても、水の底まで泳いで行けません。なんども試したのですができませんでした。力つきたかっぱは、「お前さんの願いはなんでも聞いちゃるから、このばけものをとってくれ」とたのみ、「こんなばけものを持ってるお前さんもごめんじゃ」と、しおしお、淵へかえってゆきました。それいらい、田んぼはいつも、いっぱい水がたまるようになりました。おじいさんと娘は、かっぱにお礼にと、夏が来るといつも、胡瓜を淵に流してやるようになったそうです。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:妖怪に依頼事をし、その代わりにと、娘を嫁に差し出す約束をする。娘はそれを、頓知を使って、妖怪の方から反故にするように仕向ける。岩手県遠野の民話にも同じような民話があります。また、川に胡瓜を流す風習は、山形県にもあります。はるかに離れた山口県にも近似の民話がある。関連しているのか、偶然なのか。判断は難しいところです。

禅師河童                     山口県美弥郡

 数百年ものむかし、秋芳洞が滝洞とよばれていたころのことです。
 ある年の夏に、ひどい日照りが続き、田んぼや畑は枯れ、滝洞から流れ出す川の龍ガ淵もほとんど水がなくなり、魚もすっかり死んでしまいました。淵に年古くすんでいた河童は、とうとう耐えられなくなり、近くの自住禅寺の放生池から鯉を盗んでたべてしまいました。ちょうどそのころ、禅寺の寿円禅師が、雨乞いのため滝洞にこもり、命を捨てる覚悟で、二十一日のお祈りをはじめなされました。これを見た河童は、「鯉をたべたわしを、のろうつもりだな」じゃまをしていたのですが。やがて、禅師さまのけだかいお姿に心をうたれ、お祈りのお手伝いをするようになりました。
 やがて満願の日、お祈りは天にとどき、雷ははためいて大雨となりました。禅師さまは、よろこびを仏にのべられ、よろめく足で、滝洞からでられたのですが、龍ガ淵の一枚岩の上から淵に身をなげられたのです。仏のみもとに、いのちをなげだされたのでした。
 これを見た河童は、淵にとびこみました。そして、禅師のからだをだき、大雨に流されないようにと、ひっしに岩につかまっていました。それから数日、ようやく水が引いた川から、百姓たちが禅師さまのなきがらをひきあげると、からだ一面傷だらけになった河童が禅師さまから離れ、ながれてゆくのがみえました。百姓たちは、けなげな河童をたたえ、「禅師河童」と名前をつけ、その霊をてあつくとむらったということです。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:現在でも、秋吉台(秋芳洞)に行くと、この禅師河童の人形がみやげ物として売っています。元々は、仏敵として、水の神から追い落とされ、妖怪になった河童なのですが、それが、仏に仕える禅師として崇められる。これもまた、因縁なのでしょう。