徳島県
かっぱのきず薬                  徳島県那賀郡

 富岡の北側を流れている琴江川の、深くよどんだところを多聞が淵といいます。むかし、この淵にわりことしい(いたずら好き)の河童が住んでいて、子供を水の中に引きずり込んではよろこんでいました。
 富岡の町に、賀島友井というお医者はんがありました。友井先生はめくらでしたが、魚つりが楽しみで、ひまがあると、多聞が淵にでかけていました。
 きょうも、先生は、淵でのんびりと糸をたれていました。河童がこれを見て、「じゃましておこらしたろうや」河童は、気づかれないように、こっそりと先生のとなりに座りました。魚が釣れると、ひょいと手を出し横取りしてしまいました。そのうちに先生は、「はて」独り言を言いました。そして、河童の仕業と気がついたのですが、なにくわぬ顔で釣っています。
 鯉がかかりました。河童が手をのばしたときです、先生は、すばやく脇差を抜いて、河童の手を切り落としました。ギャアというなきごえがして、続けてドボンと大きな水音がしました。
 先生は、切り落とされた片腕を持って帰りました。
 その晩、枕元で先生を呼ぶ者がありました。「だれぞい、おまはんは」すると、「へい、多聞さんの河太郎です。片手を返してください」河童がやってきたのです。先生はそれから、長々とお説教をしました。河童が深く謝るので、手を返してやることにしましたが、切られた手をどうするのかと、河童にたずねたところ、「わしらには傷の名薬があるでがーす」
 河童に教えられた薬を作ってみると、ほんとうに切り傷によくきくのでした。このことがあってから、友井先生は、毎日いそがしい先生になりました。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:『河童の傷薬』の変形ですが、魚釣りをする人に対して、いたずらで魚を奪うという展開がユニークです。魚とりは名人の河童ですから、魚が欲しいはずは無いのですから、取り上げるのが目的ではなく遊びなのです。