庄の河童                       福岡県田川郡

 むかし、むかしのことです。添田の庄というところの池に、一匹の親なし河童が住んでいました。
 ある年のこと、大雨が降り、池に注ぐ小川がはんらんし、池の中に丸太や石がつぎつぎと流れ込んできました。魚たちや河童は、荒れ狂う池の中で、あちこち逃げ隠れしましたが、河童は流木にあたって右腕を折ってしまいました。
 あらしは止み、池は静かになりましたが、河童は、折れた腕の痛みに、毎日苦しんでいました。心配した魚たちは、池の近くに住む、骨接ぎ医者に行くようにすすめました。人間を怖がっていた河童は、はじめはしりごみしていましたが、痛みに耐えかね、医者のところに行きました。
 年老いた医者は、ていねいにしんさつし、手当てをしてやりました。河童は二十八日間通いました。
 すっかり良くなった河童は、お礼をしようと思いましたがなにもありません。そこで、母親の遺品の箱を開けてみました。すると、中には、白い袋が入っていて『河童の妙薬』と書かれてありました。河童はよろこび、妙薬を医者のところに持って行きました。庄の骨接ぎ医者は、河童の妙薬で売り出し、すえながく栄えたとのことです。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:河童の薬の作り方を、河童の方から、人間に教えるという話の展開は、他にはあまり見当たらないと思われます。河童もいたずら者ではない。悪人が登場しない、ほのぼのとした民話です。

かっぱの年ぐ                    福岡県宗像郡

 むかしむかし、夏の暑い日のこと。わかい男が、峠道をのぼっておったわい。すると、うしろからこえをかけるもんがおる。ふりかえると、ひとりのきみょうなじいさまが、やってくる。みのを着て、たるをかついでござるわい。
 「やっとおいつきましたわい。あんたさんにお願いがござります」という。聞くと、たるを、芦屋町の船問屋まで届けて欲しいという。「なにぶんとし。もう、ひと足もあるけませぬ」のぞみしだいのお礼をするといわれ、わかものはひきうけたわい。
 わかものは、たるをせなかにかついて、手紙をふところにいれ、峠をのぼっていった。ようやく、峠の上までくると、みちばたの石にこしをかけて、あせをふいておった。すると、からすがいっぱい、あたまの上にとんでいる。わかものは気になりだした。あずかるとき、けして開けてはならないといわれておった。とうとう、がまんできなくなって、開けて見たわい。すると、どすぐろい、くちゃーとしたものが入っている。なんだかわからん。そこで、手紙を開けて読むと、「おやかたさま。ねんぐのきも百をおとどけします。中には九十九はいっておりますが、あと一つは、この男のきもをとってくださりませ。長太郎さま」とある。長太郎が、かっぱの親分であることを知っていたわかものは、怒って、たるを谷そこにけおとしたわい。この峠は、たるを見たので、たるみとうげの名がついたと。ひいや、ふくれて、きろりんちゃん。
   (童音社版『日本のふるさと・こどもの民話』より)

解説:山道を歩くのが、船荷に変わっていますが、同じ内容の民話が、熊本県の天草にもあります。天草から佐賀県の柳川が目的地になっていますが、こちらは、福岡市内に河童の親分が住んでいることになっています。
河童地蔵                      福岡県若松市

 むかし、むかし。若松の修多羅(すたら)や島郷のあたりには、いろんな親分を中心とする河童たちが群雄割拠していました。河童の世界にもなわばりがあり、あらそいが絶え間なく続いており、そのたびにいつも困るのは、田畑や作物を荒らされる人間達でした。
 ある年、日照りが続き、河童たちは、高塔山にある池の水を奪い合い、大げんかを始めました。強いものは勝ち、弱い河童たちはつぎつぎと死にました。田畑も荒らされ人々は困り抜いていました。
 そうしたようすを見ていた山伏の堂丸総学は、河童退治のため、一尺あまりの大釘をかじ屋に造らせ、高塔山に登り、石地蔵の前で祈り続けました。驚いた河童たちは、祈りのじゃまをしようと、山伏のまわりで河童踊りをしたり、美しい娘に化けたりしましたが、山伏は祈りをやめません。
 とうとう、河童たちは、祈りの力に屈し、地蔵の中にとじこめられてしまいました。山伏は、地蔵の背中に、大釘をふかく打ち込み、河童が二度と出てこられないように封じ込めてしまいました。その後、村人たちは、しあわせにくらしました。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:河童どうしが争い、人間が迷惑する。この展開は、珍しいパターンですし、河童が徒党を組んでいるというのも、一人河童が主流の東日本とは異なる、九州地域の特色と思われます。
カッパの約束状                  福岡県中間市

 むかし、むかし。遠賀川の水をひいた堀川運河には、たくさんのカッパが住んでいました。カッパは、堀川でおよぐ子供たちを水底に引きずり込み水死させるので、村人達は、堀川のせきどめをし、カッパを退治しようとそうだんしました。
 あるむしあつい夏の夜のことです。せき番人のとめさんが、唐戸のせきでたばこをすっていると、子供の呼ぶ声がしました。声は、「わたしは堀川に住むカッパの代表です。おねがいですから、カッパ退治をやめて下さい。実は、カッパ一同話し合い、今後はいっさい村の子供を水の中に引き込むことはやめます。ここに一通の証文をもってまいったのです」と言うが早いか、さっと姿を消してしまいました。
 とめさんは、急いでその証文を庄屋のところにもってゆきました。それからの堀川は何事もなく、美しい川水をまんまんとたたえていました。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:一般に河童は、うす暗い、藪に囲まれた陰気な『瀬』や『淵』の住んでいると言うのが通り相場ですが、人口の運河に住んでいるという、珍しいお話です。また、関を閉めきり、水を抜いて河童退治するとの話も、類例が少ないと思われます
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