大分県
河童の証文                     大分県中津市

 豊前中津藩、奥平候の家臣に生田主計という人があった。その下女が町にでての帰りに、美男子に出会い、見とれているうちに気が変になってしまった。これは、河童につかれたに相違ないと思った主人は、兵法の達人である舟橋に頼んで責めさせたところ、案の定河童だった。
 河童は、「仏縁が得たいがためにこの女に憑いた」という。重ねて問いただすと、「実は私はもと平家の武士で、壇ノ浦で敗北し死んだが、河童の腹に乗り移ったのだ。あさましい河童の姿になったのは情けない。なんとか、人間に戻りたい。そのために仏縁を得たい」という。「どこかの寺で七日の法会を修し、とり憑いたこの女を席にはべらせればい」とのこと。仏縁を得たら、女の体内から出るというが、女が元の身体に戻るには一週間ほどかかるとも言った。
 りょうかいした舟橋は、「今後決して人に憑いて災いをなすことがないという証文を書け」と言ったのだが、なかなか書こうとはしなかった。ようやく筆をとり書き始めたが、何が書いてあるのかは、判読しがたい代物だった。この証文は、久しく慈照寺に残っていたそうである。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:民話採集時の間違いかも知れないが、話の中に、期間を『一週間』という、キリスト教カレンダーの概念が入っているのが注目される。隠れキリスタンの地域だからだろうか?。
カッパと無常                   大分県中津市

 中津市寺町の円応寺に、むかしからつたわるものがたりである。
 ある朝、勤行ををすませた和尚が廊下を歩いていると、庭先で遊ぶカッパの姿が目に付いた。「やれやれ、世の無常も知らぬげに遊んでおる」なにがなくつぶやいた。それをカッパが聞きとがめ、「無常、ハテナ?」考えたがわからない。思案にあまったカッパは、和尚さんに教えをこうた。感心した和尚は、親切丁寧に教えたやった。
 じっと聞き入っていたカッパは、「ありがとうございました。お礼に、良いことをお教えします。本道の巽に小池をつくりなさい。そうすれば、ぜったいにこの寺は焼けません」
 和尚はさっそく池を造り、カポパはそこに住み着いた。それからというもの、近所に火事が起こっても、かならず大雨が降って火がきえてしまった。和尚は感じ入り、寺の瓦に『水』の字を入れ、池を埋めないように遺言したという。
    (山田書院版『傳説と奇談第14集』より)

解説:この寺は、現在(昭和42年現在)でも同じ場所にあり、一度も火災の被害にあったことは無いそうです。
 豊前中津藩、奥平候の家臣に生田主計という人があった。その下女が町にでての帰りに、美男子に出会い、見とれているうちに気が変になってしまった。これは、河童につかれたに相違ないと思った主人は、兵法の達人である舟橋に頼んで責めさせたところ、案の定河童だった。