熊本県
カッパとカメの卵                 熊本県天草地方

 五和町二江の通詞島の西海岸には白砂があり、春になると大きなカメがきて、海岸の砂の中に卵を生んで帰ります。
 むかし、むかし、島に太重さんという力持ちの漁師がいました。太重さんは、カメの卵を探すことも得意でした。
 夜明け前、太重さんはカメの卵を探しに行き、200個もの卵をとり、部落の方へ歩いていると、向こうから一人の小坊主がやってきました。「漁師さんや、わたしは海の者だ。カメの卵を返してもらおう」小さいのに似ず、底力のある声で言います。太重さんは、「わしは通詞島の太重と言うてなあ、天草で名の知れた宮相撲とりだ。あっちへ行け」すると、「あんたが太重どんか。あんたと相撲をとろ。わしが勝ったときゃ、カメの卵はそっくりかえしてもらおう」
 太重さんは、これは天草灘に住むたちのわるい河童に違いないと思って、「相撲をとる前に逆立ちをしてもらいてーのだ」と、両手を地面につけ、逆立ちをしました。「それくらいはやれるぞ」小坊主もまねをしました。
 組討になると、太重さんが優勢です。小坊主を組み伏せ、背中を踏みつけました。「逆立ちしたばかりに負けてしもうて、頭の水が無くなると、力がぬけてしまうとじゃもね」
 相撲に勝った太重さんは、小坊主をはなしてやりました。太重さんが浜辺の方を見ると、何万という小坊主が押し寄せてきました。
 太重さんは、死に物狂いで戦いましたが、力尽きてしまいまいました。「カメの卵はやるから、命だけは助けてくれ」カッパの頭は「これからこんなことはするなよ」勝ち誇って言いました。太重さんは、命からがら逃げて帰りました。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:何万もの河童が現れる。人間の方が悪者扱いをされ負けて逃げる。九州地方以外では、ほとんど見られない話の展開です。東日本の河童伝承とは、明らかに、そのルーツが異なる、まったく別の伝承と思われます。
やまわろ                      熊本県熊本市

 夏が終わって、がらっぱが山にはいると、やまわろと、このあたりではいう。
 やまわろが好きなのは、山桃の実だ。やまわろの腕は、かかしのように、右も左もつながって倍伸びることができるから、山桃の実を取るときは、そうやって手を伸ばして取るそうな。
 やまわろは、よく仕事を手伝ってくれたそうな。大きな木を運ぶときなど、下からささえてくれたりするので、仕事が楽じゃといった。そんなときは、あとから必ず、あすき飯だの、はったい(麦焦がし)を地面にまいてやらねばならん。
 やまわろは、山小屋のいろりの自在かぎをゆさぶって、降りてくることがあったそうな。そんなときは、よう来たといって、いっしょに遊んでやるとよい。
 また、風呂好きで、よく入りに来た。ある男がさめないようにと、自分が入ったあと、もしつけておいた。夜中にやまわろが来て風呂に入ったが、「きゃ」っと叫んで飛び出した。熱過ぎたらしい。男は、あわてて飛び出し、悪気でやっとのではないと申し開きをしたという。やまわろが入ったあとの風呂は、どろどろと油のようなものが浮いて、ひどくよごれているそうな。
    (角川書店 『日本の民話』より)

解説:河童が、冬の間、山に入り、『やまわらわ』や『やまわろ』になるという民話も、全国的に点在しています。そのやまわらわの親は、山に住む、鬼や天狗と考えられています。さて、では、河童の親は何なんでしょうか?
力をもらった男                 熊本県天草地方

 むかし、ある若者が、富岡さんの殿さんが城を築くちゅうので、人夫に使ってもらいたいと出かけて行ったが、からだが小さいもので、追い返されてしまった。若者はがっかりして、泣く泣く家に帰る途中、川べりの道まで来ると、がわっぱが出てきて、「なぜ泣く」と聞いた。わけを話すと、「おまえの願いをかなえてやるから、おらの願いを聞いてくれ」という。がわっぱの願いとは、「おらの家の中に、恐ろしい化けもんが住んどるもんで、夜もろくに眠れない。退治してくだはり」という。
 若者は、淵に飛び込み探して見ると、まぐわ(馬に引かせて使う土を鋤く農具)が一つ沈んでいた。八本の鉄の歯が光るので、がわっぱには怪物にみえたのだった。
 がわっぱはひどく喜んで、「力持ちになっとるばい」というた。そこで、若者は家に帰って一眠りしてから起き、大石をかついでみると、軽々と持ち上がった。そこで、その石をひっかついだまま、富岡に行き、もう一度、「人夫に使ってくだはり」と頼んだ。
 殿さんはたまげて、たいそう便利に使ったが、城ができ上がってみると、若者が恐ろしくなった。大きな穴を掘って、若者を投げ込み、石を入れて殺そうとしたが、どんな大石も跳ね上げてしまう。そこでこんどは、砂を流し込んで殺してしまった。むごか話じゃ。
    (角川書店 『日本の民話』より)

解説:城が出来上がり、たいそうな賃金をもらい、金持ちになったという結末ならば、良くありそうな民話なのですが、最後に、権力者である領主に殺されるという、珍しい終わり方をする民話です
がわっぱの手紙                 熊本県熊本市

 ある漁師が熊本の南の川尻に船を着けて寝ていると、真夜中の1時ごろ、「ちょっと起きてくだはり」起こす者がある。見ると、若者がふたり立っちょった。船が、小川まで行くと知ると若者は、「この手紙を持って行ってくださりまっせ」と頼んだ。
 漁師は引き受けたが、どうも気になってたまらん。がらっぱの手紙ではないだろうかと、手紙を見ると、案の定、真っ白だった。そこで、ぺらりと水につけてみると、「こちらでとれぬ、そちらでとれ」と書かれてあった。漁師はたまげたが、船を港に着けると、かぼちゃの茎とそのしるで手紙を書いた。「この者に宝物をやってくれ」
 翌日、八代の北の小川ちゅうところに着くと、ひとりの男が待っちょって、手紙を受け取った。男は、「今夜、潮と水が会う所で待っていてくだはり」というて立ち去った。
 漁師は、川の出口の、潮と真水が入り混じる所に船をだして待っていると、幾千ともないがわっぱが現れ、船いっぱい魚を投げ込んだ。漁師は大もうけをしたというこつじゃ。
    (角川書店 『日本の民話』より)

解説:岩手や屋久島にも同じ内容の河童の手紙えおモチーフとした民話がありますが、受け取った人間自身が、手紙を見破り、書き換えるという展開は珍しいと思います。
地蔵さんのしり                 熊本県八代郡

 八代郡の上松求磨村であったことだ。あるとき、ばくろうが球磨川の岸辺に馬をつないで、ちょっと用足しに行って戻ると、馬がぴんぴんはねている。見ると、がらっぱがしっぽにしがみついていた。ばくろうは腹をたて、がらっぱを取り押さえ、「腕、引き抜いちゃるぞ」とおどかした。すると、「人間はやっぱり偉かもんばい。こん先、佐世野の地蔵のしりが腐るまで、わるさはせんから、勘弁してくだはり」とあやまった。それからというもの、この辺では、がわっぱにひかれることはなくなった。しかし、地蔵さんがときどきころがされているのは、がわっぱが、まだしりは腐っちょらんかといって、ころがしてみるからだそうな。
    (角川書店 『日本の民話』より)

解説:河童の民話に限らず、詫びの約束期限として、石が摩れてなくなるまでとか、腐るまでとか、石を使う(実際は無期限)民話が全国的に広まっています。
かわっぱとすもうをとること       熊本県八代郡

 今から三十年ほど前(1940年頃)、日奈久(ひなぐ)に仙太郎さんという、投げ網の名人がおった。ある晩、くにゃくにゃしたものがはいってきた。君が悪いので、水のかなにけ落として帰り道につくと、向こうから小さな黒い影が、何十匹となくやって来た。見ると、がわっぱで、「さっきはありがろう」と礼を言った。
 通り過ぎようとすると、「すもうをとろう」といって、仙太郎の周りを取り囲んでしまった。「腹が減っている、待ってくだはり」といって、近くの家へ駆け込んだ。仏さんに上げてあるご飯を食べさせてもらった。そして、残りを額に塗りつけた。
 され、仙太郎さんとがわっぱはにらみ合ったが、がわっぱたしは、急にしおしおして、「おめの目ん玉から光が差し、すもうがとりにくい、経はやめとくばい」言って、水の中に飛び込んで、一匹もいなくなってしまった。
 そのあたりを見ると、あひるのような足跡がたくさん残っておったと。
    (角川書店 『日本の民話』より)

解説:鹿児島県にも、同じように、仏様に供えたご飯を食べ、仏の力によって難を逃れた民話があります。また、この民話には、この、河童とのやり取りを見ていた人がいるのですが、その人には河童は見えていません。一種の『狐憑き』の状態でもあるようです。
河童の年貢                   熊本県天草地方

 ある年のこと、天草の上島と下島の間の瀬戸を、一隻の船が通っていると、岸に待っていた男が呼び止めました。「どうか、この樽ば柳川の問屋までとどけて下さらんか」高すぎるぐらいの賃金で頼みました。「たいへんに大事な物が入っているので、途中で絶対にあけないでください」
 船は、有明海に出て行きました。あけるなといわれると中を見たくなるのが人情です。なかをあけてみると、どろどろとして黒いものがつまっています。「ほら、こら何んじゃろかい、これを見たら何かわかるだろう」そえられていた手紙を見ると、それには、天草の河童が、柳川の河童の王様におさめる年貢の人間のきもが九十九も詰めているというのです。しかも、「きまりの百にあと一つ足りません。船の船頭の肝をとって百にしてください」とも書かれていました。
 それを見て船頭はカンカンに怒って、海の中にその樽を捨ててしまいました。
 むかしは、九州を支配する河童の王様は、柳川に住み、各地の河童から人間の肝を年貢にとりたてていたとのことです。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:孤独な河童が、薄暗い淵に住んでいる。そんなイメージが強い東日本の河童とは違い、九州の河童は、社会生活を営んでいる。年貢が有るというのも面白い傾向です。ただ、海運を生業にしている人間が、結果は良かったとは言っても、勝手に荷物を開けたり捨てたりする。むしろ、悪い人間の姿を、正しいかのように民話に残す。民話は、親から子への教育の一環として伝承されるとの考え方からすると、少し理解に苦しむ民話です。
球磨川の河童つり               熊本県八代郡

 ある日、彦一は、宮地のふもと球磨川の土手で漁を釣っていました。そこにとのさんが通りかかりました。「彦一、何ば釣りよっとか」彦一は、振り向くと、ほかならぬとのさんが立っているので驚きましたが、ふと、「がわっぱ釣りですたい」といいました。
 「なに?。そらぁおもしれぇ、おれにも釣らせろ」彦一は、おどかすつもりで言っただけだったのでこまったのですが、「がわっぱ釣りにはくじら肉が一番よかばってん。そのえさがなかけん弱っとります」といいました。すると、「そらお安いこつだ。くじら肉なら城にある。どのくらいいるか」「二貫目くらいです」「よし、晩に二貫目のくじら肉ばもってくるぞ」
 その晩になりました。とのさんは二貫目の肉をもってきました。彦一は、えさにしているふりをして、用意した竹皮に包み、すっかり取り上げてしまいました。しかし、がわっぱは釣れません。「とのさんと二人じゃあ、釣るのは難しい。あしたの晩一人で釣りますたい」と彦一は言いました。
 そのあくる晩は月夜でした。彦一が釣りをしていると、川の中からがわっぱが上げって来て、「すもうとろかい」といいました。彦一は、まず、びんたをうって、頭の皿の水をふっとばしてから投げ飛ばし、次々と五、六匹をしばりつけると、お城にひっぱってとのさんにわたしました。とのさんはびっくりして、「ぬしゃ釣りの名人ばい」といいました。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:漁師が、殿様をだまして、鯨肉を取り上げる。それだけではなく、まんまと河童を捕まえる。痛快な快男子の民話です。どことなく、南方系のおおらかさが感じられる伝承です。
カッパの証文                  熊本県天草地方

 牛深市久玉町上揚部落を流れる久玉川は水量も多く、大きな堤があり、カッパが住んでいました。
 伝次兵衛という百姓が馬を洗っているとき、カッパが馬の尻をとろうとしました。これを見つけた伝次兵衛とたたかいとなり、ころんだはずみに頭のくぼみにたまっている水が落ちて、一度はつかまえたのですが、逃げられました。
 伝次兵衛はくやしがり、つかまえようと、あちこち探していました。
 神無月の十三日の晩でした。上揚部落の小径を歩いていると、何かごそごそ音がしています。見ると、十歳くらいの子供の大きさをしたカッパが畑の芋を掘っています。これをとがめた伝次兵衛とカッパは、相撲をとることになりました。
 伝次兵衛は、組み付くと、カッパの頭を横にグット押さえました。すると、カッパの頭のくぼみにたまった水がさっとこぼれ落ちました。ひるんだカッパの両肩をつかむと、足を払って芋畑の上にねじ伏せました。「た、助けてくれ。どんなことでも聞く」伝次兵衛は、農作物を荒らさないこと、人間の尻を抜かない約束をさせました。
「カッパの言うことは信用ならん。証文を書け」カッパは、「証文だけは許してくれ」と言いましたが、許しません。ひらたい石を二つひろい、「この石に証文を書け」カッパは、とがった石で、ひらたい石に字を刻みました。伝次兵衛は、その石を床の間に置いて飾ることにしました。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:古老からの聞き書きの形式で採取されたこの民話は、『河童駒引き』に似た話で始まり、最初の戦いでは、おかみさんの失敗で逃げられてしまう。執念で河童を探し、二度目は相撲で戦う。最後は『侘証文』となる。かなり長い民話でした。典型的な河童伝承を複数盛り込んだ、話者の創作民話に近いのではと思われます。
尻の鈴をつかんだカッパ          熊本県天草地方

 天草町福連木は下田川の上流にあり、昔からカッパがたくさんおりました。ここのカッパは、春の彼岸になると谷川にくだってきて、秋の彼岸になると川をのぼって山に住むと言われています。
 福連木のカッパは、昔は人間だったと言われています。大工の弟子でしたが、とうりょうさんにしかられ、金槌で頭の真ん中を打たれへこんだのです。
 カッパは神通力をもっていました。手は、左手が長く、赤い顔をしていました。
 福連木には、新平どんという知恵のある百姓がいました。新平ドンは、カッパが尻を取ることから、取られぬ工夫をしました。尻のところに鈴をぶらさげたのです。
 新平どんが、田の草取りをしていると、一人の女がやってきました。「はあ、女に化けてきたな」「新平どん一人ではきつかろな。加勢しましゅか」新平どんは、女に前で取ってもらおうとしましたが、女は前には出ません。しかたなく、新平どんは女の前でかがみました。ならんで作業をしていると、急に女は新平どんの後に近づき右手を伸ばし、新平どんの尻を取ろうとしました。しかしカッパは鈴をつかんだのです。「ガラン、ガラン」カッパはびっくりして逃げて行きました。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:冬は山に住み『山童』、夏は里の川に住んで『河童』。同じような例が、本州の伝承にもあります。左手が長いと説明しておいて、尻を取るのに短い方の右手を出しています。話に混乱があるので、伝承の間違いかもしれません。