鹿児島県
かっぱの話                       鹿児島県指宿市
 むかし、むかし。一人の男の子が川のふちを歩いていると、橋の下の河原で十人位の人があつまって、角力をとっているのが見えました。よく見ると、それはかっぱでした。
 子供がのぞいていると、かっぱは、「いっしょに角力をとろう」といいました。こどもは、「お腹がへっているから、ごはんをたべてくる」言って、いそいで家に帰りました。そして、「お母さん、ごはん」叫びましたが、お母さんは家にはいませんでした。しかたなく、仏様にそなえてある「オッパン」を食べて、橋のところにかけつけました。
 角力にかたせて(加えて)もらおうと、かっぱのところに行くと、「おまえは変なにおいがする」「なんだか、ピカピカ光っている」かっぱは口々に言い、仲間に入れてくれませんでした。しかたなく家に帰り、かっぱが角力をとってくれなかったと話すと、母親はびっくりして、「よかった、よかった。かっぱと角力をとったら、殺されるところだった」と泣いてよろこびました。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:特徴的なことは、母親は河童を妖怪として認識しているのですが、子供は怖がっていないことです。また、仏壇の供物を食べたことにより、仏の力が、子供に作用したとの仏教説話も含まれています。河童が仏を怖がっているストーリーになっているのも注目点です。

かっぱとちまき                 鹿児島県大隅地方

 五月の節句には「ちまき」を造ります。竹の皮にもち米を包み、からそで結んでかまでにるのです。このからそのむすび方に「男むすび」と「ひっかけむすび」の二つがあります。「ひっかけむすび」は、簡単にほどけるのですが、「男むすび」は、ひけばひくほど結び目が締まるようになっています。
 むかし、むかし。ある男の子が、かっぱにとられることになっていました。その日、母親は「ちまき」を二つつくりました。一つは男むすびに、もう一つはひっかけむすびにしておきました。
 母親はこの二つのちまきを子どもに見せ、「かっぱがでてきたら、男むすびの方をやるのですよ」とおしえました。
 子どもは河原に行きました。かっぱが川から上がってきたので、子どもはかっぱと並んですわり、ちまきをたべることになりました。かっぱは、はやくちまきをたべようと、からそのはしをひきますが、なかなかほどけません。ついに、かっぱが川にかえらなければならない時刻になりました。かっぱはしかたなく、子どもをおいて、川にかえりました。
 いまも、川のちかいところでは、五月の節句には、むぎわらの人形をつくり、男むすびのちまきをだかせて、川に流すならわしがあります。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:関東地方にも、子どもが河童にとられる運命であったのを、食べ物で河童を魅了させ、時間切れで命を救うという民話があります。関連があるのかないのか。もし、関連があるのなら、両地域に、河童以外の他の民話の関連がある可能性が高いと思います。調査をしてみないと解りません。
かっぱと貝殻                  鹿児島県薩摩郡

 むかし、むかし。ある人がたんぼから家に帰る途中、淋しい川のほとりにさしかかると、異様な声がきこえてくるので、そっとのぞいてみると、たくさんのかっぱがむらがり、角力をとっているのでした。
 やっかいなところに来たものだと思案しているうちに、かっぱに見つかってしまい、無理矢理に角力の仲間入りをさせられてしまいました。
 いまさら逃げることもできず、ふつうにとっては勝ち目もない、じっと考えていると、いい考えがわいてきました。
 おとこは、自分から逆立ちをやってみせ、「逆立ちをすることができたら角力をとろう」といいました。こうして、みんなに逆立ちをさせ、頭の皿の水を出させておいて、みんなを投げ飛ばし、うちすえてしまいました。そして、その中の一匹を捕らえて、家に帰りました。
 とらえられたかっぱが、あまりにキイキイとわめくので、下男がしゃくにさわり、馬桶の中の水をかっぱの頭にぶっかけてしまいました。かっぱは力を得て、縄をひきちぎって逃げて行きました。
 この話を聞いた男は、「どんな災難を受けるかも知れない」といって、あわびの貝殻を馬小屋の入口につるし、かっぱを防ぐことにしました。
 いまでも、この辺では、貝殻を馬小屋につるしているそうです。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:河童除けに、貝殻をつるす地域の風習が民話のテーマですが、なぜ、貝殻が河童除けになるのかの理由がまったく示されていないのも、不思議な民話です。
河童の首                      鹿児島県串木野市

 むかし、むかし。一人の飛脚がいました。
 あるときのこと、その男が鹿児島へゆく途中、串木野の手前の五反田橋の近くにさしかかると、かっぱが出てきて、「角力をといが」と言いました。男は、「今日はだいじな用事があるから駄目だ。帰りにとろう」といいました。
 夕方になり、仕事を終わり、橋の近くにくると、かっぱが待ち伏せており、「角力をとろう」とうるさくつきまといました。
 かかわりあいたくなかったその男は、腰の刀をぬいて、かっぱの首をきりおとしてしまいました。落ちた首をすばやく、刀のさきに突き刺し、肩にになって帰りました。
 途中、他のかっぱたちが、首を返してくれと頼みましたが、ききいれません。かっぱは金物とソバの団子を嫌うので、どうしても刀の先の首をとりかえすことができませんでした。
 かっぱの首は、一週間以内なら、もとのままにくっつけることができるので、一週間というもの、毎晩かっぱがやってきて、「首をかえしてくれ」と哀願しましたが、わたしませんでした。
 男は、持ってきた首を桐の箱に入れ、床の間に供えておきました。あるとき、その家が火事になったところ、誰も運び出したものがいないのに、桐の箱はちゃんと庭に出ていたこともあったということです。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:約束したのにホゴにする。やにわに切り殺す。返してくれと哀願しても返さない。どうも、九州地方の民話に登場する人物は、あまり善人とは思えない人が多いのはなぜなのでしょうか。そんな点も、東日本の民話との大きな相違点です。
 親は、子供が悪い大人になって欲しいと思うはずはありません。民話は、なんらかのサンプルを子供に提示しているのですから、この相違は、発想の違いは、何に起因しているのでしょうか?
かっぱと下女                   鹿児島県指宿市

 ある日のこと。農夫が川原に馬をつないでおきました。そこへ、何匹かのかっぱが出てきて、馬にいたずらをはじめました。それを嫌がり、暴れまわった馬は、手綱で一匹のかっぱをぐるぐる巻きにしたまま、杭の綱を引きちぎって、わが家にもどりました。
 馬がとんで帰ってきたので、主人が馬小屋に行って見ると、かっぱが一匹、ぐったりとなっていました。
 さっそく、かっぱをとらえ、頭の皿の水を出し、柱に括り付けました。かっぱは力を失い、泣いていましたが、子供たちが見に来ると、今度はあべこべに、子供をからかってみたり、変な顔つきをして騒ぎだしました。
 そこへ、下女が、馬にやるニゴシ(飼料)を桶に入れてはこんできました。かっぱはそれをみて、こんどは下女をからかいました。しつこくからかわれたので、すっかり怒ってしまった下女は、手に提げた桶一ぱいのニゴシを、いきなり、かっぱの頭からあびせかけたのです。
 ニゴシを頭からかけられたかっぱは、皿に水がたまったため、元気をとりもどし、縄をひきちぎってにげてゆきました。
   (未来社版『日本の民話』より)

解説:『河童駒引き』に近い話の始まりですが、かっぱが複数であることが特徴的です。また、人々は、河童を恐れてもいません。下女をからかい、まんまと、皿に水を入れさせる、賢い河童の民話です。