茨城県
利根川の弥々子カッパ            茨城県利根町

 むかし、利根川にネネコという女かっぱが生息していた。ネネコは大とねの流域を転々としたが、最後は利根町の加納にすみついた。
 関八州の元締めでありながら、無双の暴れん坊の悪名を、女だてらにひびかせ、生簀の魚を盗んだり、厩の中につないだ駒を水に引き込む、水浴びをしている子どもの尻の子を抜く、きゅうり畑を荒らすなど、たいへんな女かっぱだった。悪事の足を洗って、加納屋敷の祠におさまるまでは、九州の元締め、九千坊かっぱも太刀打ちできないほどの悪だった。
 ネネコかっぱも、一度だけ失敗をした。ある夏、川原で侍が飼い馬を遊ばせていた。ネネコは、尾に腕をからませ、水の中に引き込もうとしたが、侍が立ち上がり、ネネコの首筋をむんずと掴み、ねじ伏せられてしまった。ネネコはついに、侘びを入れ、切り傷の妙薬の秘法を伝授して水中に逃げたとのことだ。
    (山田書院版『傳説と奇談第14集』より)

解説:ネネコをまつる祠は、茨城県と寝待加納神新田の加納氏宅に現在でもあるとのことです。また、加納屋敷からは、河童の土面が出土しているそうです。
河伯の骨接ぎ薬                  茨城県小美玉市

  寛正六年の夏、芹沢俊幹という武士が、日暮れに自宅に帰ろうと手奪川の端を通ろうとしたところ、馬が前に進まなかった。怪しんで馬の様子を見ると、馬の尻になにものかが取り付いていた。俊幹は、刀を抜いて切りつけたところ、異物の腕が打ち落とされた。それが、どんな物の腕なのかは判らなかったが、持ち帰ったところ、枕元に異物がやって来た。拝復し、『吾は前川に住む河伯也。今日、公に一手を切らるる。返し給え。吾に骨接ぎの妙薬あり。謝礼として奇法を伝え奉るべし』という。了解して腕を返したところ、翌日から、前庭の梅の枝に、日々魚が一双かけて置かれるようになった。これにより芹沢家では、家伝の妙薬を造るようになった。その後、数年して、河伯が死に、魚は届けられなくなったとのことだ。
         (小宮山楓軒:水府志料より)

解説:江戸時代の後期に、水戸藩士によって編纂された説話集に収録されている伝承です。全国各地にある、河童と薬の伝承と類似しています。