佐賀県
河童誓文伝説                    佐賀県武雄市

 橘家の15代の子孫である橘公業が、寛喜六年に長島庄に移り住んだ時に、元の領地から、河童も、佐賀の潮見まで付いてきた。河童たちは、最初の頃こそ、おとなしくしていたが、しだいに乱暴をするようになった。そこで領民達は誓文を捧げ、河童を神として祭り、河童たちをおとなしくさせたという。
 潮見城下の渋江水神は、この河童を祭った神社であり、宮司である毛利家には、水難よけの呪文が、今でも言い伝えられているとのことだ。
           (純真女子短期大学国文科文書)

解説:鎌倉時代に、肥前地域の有力者だった橘家は、江戸時代には渋江家として続き、河童を祭る神社の宮司となっていたようです。渋江家に伝わる文書には、河童に関係するものが多く含まれています。この伝承も、その一つです。