河童名所探訪
桐生川の河童伝説と河童神社


掲載日:2003年6月21日
最終更新日:2003年6月30日

 群馬県の東部、桐生市の市内から、ほんの10キロほど一本道を北上すると、そこは信じられないくらい、まさにの山奥の 風景になっています。

 道は、渡良瀬川の支流である「桐生川」に沿って続いています。途中までは片側1車線の道ですが、桐生ダムを過ぎる頃からは、車がすれ違えないほど狭い道になります。それでも、 ところどころには、すれ違いのために、車を寄せる広場があるので、通行にはそれほど苦労はありませんでした。

 さて、この桐生川には、二つの河童伝説が残されており、河童が住んでいたと言い伝えのある「淵」もあります。
「ざぐり穴の河童」伝承

 桐生川の上流に、ざぐり穴と呼ばれる洞穴がありました。
 その洞穴の前には、平らな岩があり、河童がかわいい少女に姿を変え、糸巻の座繰り機であそんでいました。
 村人は、その娘が河童の化身であることは知っていましたが、かわいい姿と、わるさをするのでもないことから、むしろ、愛情をもって 接していました。
 河童の娘は、お腹が空くと近くの農家に行き、大豆を炒ったものをもらってお腹を満たしていました。
 ある日、もらいにいった家では、大豆を切らしていたので、しかたなく、小石を袋に入れ渡したのだそうです。
 それいらい、河童の姿を見ることはできなくなってしまったのです。


 この伝承を元に、創作民話を創りました。

「河童とアメ玉」伝承

 桐生川の淵に住む河童は、死神の使いでした。
 産土の神様の手違いから、十三の年に水死する運命を背負った子供を持った村人は、神様同士の話を立ち聴きしてしまいました。
 神様の決めたことだからと、諦めて13年間、子供を育てた父親は、13歳になった子供が、川に遊びに行くと言い出したとき、今日が息子の死ぬ日であると思い、子供が大好きだったアメ玉を持たせたのです。
 川で遊ぶ子供の命を奪おうと近づいた河童は、アメ玉を見つけ、大好物だったことから、命を奪うことを忘れアメ玉を食べているうちに、殺す約束の時間を過ぎてしまい、殺すことが できず帰ってしまいました。
 息子が死なずに帰ってきたことに驚いた父親は、河童がアメ玉を食べたから息子の命が助かったと、河童淵にアメ玉を供えるようになったのだそうです。


 この伝承を元に、創作民話を創りました。

 この桐生市梅田町に行くには、桐生市内の群馬大学工学部キャンバスの前の道を、ひたすら北に走ると、桐生川沿いの道となります。
 やがて、桐生ダムが右手に見えてきます。そのままダムの脇を進み、トンネルをくぐってなおも進むと、この地域の案内地図が掲示された広場にでます。
 広場を抜け、しばらく走ると、右側に「梅田ふるさとセンター」があります。ここでは、食事ができ、トイレを使うことができますし、郷土の野菜の即売や、 漬物や土地の名産品などを買うことができます。河童の刺繍の入った入浴用品(あかすり)も売っていましたよ。
 このセンターから2キロほど進んだところに、「津久原橋」があり、その右手の河原に「河童神社」があります。
 「神社」とは行っても、篤志家が岩を積み上げて作った手作りの祠と鳥居があるだけの素朴なものです。


桐生川の案内図
 この周辺は、渓流釣りや森林浴やハイキングのためのコースになっています。
 桐生川を中心とした案内図です。

木製のボード
 周辺には、材木業の建物ばかりと思うくらい、この周辺は森が多く、それも整備された美しい森です。
 心が和みますね。

和紙の工房
 案内板のある小さな広場の向かい側には、和紙を作っている工房がありました。

梅田ふるさとセンター
 広い駐車場を持つセンターです。地域の野菜や特産品を売っている施設です。
 食事をすることもできますよ。

津久原橋と河童神社の看板
 左が橋、その右の藪の中に、赤く見えるのが河童神社の看板です。
 この橋が目印です。橋の右下の河原に河童の祠があります。

河童神社看板
 いかにも手作りの看板なのが、親しみを持てますね。

河童の祠(内部)
 まだ新しい、男性と女性の河童像が安置されています。像の形は、子孫繁栄を目的としたお地蔵様のスタイル。その河童版といったところでしょうか。
桐生川の清流
 河童の祠のある場所の河原です。
河童神社の鳥居
 これもまた、手作りの鳥居です。
桐生川の淵
 河童淵と呼ばれていたところが、正確にどこなのかはわかりませんが、いかにも河童が住んでいそうな淵が、 この桐生川には、随所にあります。


 今回の紀行は、偶然、インターネットで、群馬県桐生市のNPOが運営しているホームページを見つけたのがきっかけでした。

 市民が集まり、市内に残る民話を収集し、編集して発表する活動をしているようです。

 民話は、ほうっておくとどんどん消えていってしまいますから、こんな活動は貴重ですね。

 古くから栄えた織物の町であり、関東平野の北端に位置する桐生市は、平地もあり、そこを流れる渡良瀬川という大きな川と、支流の 小さな川、山もあって、変化に富んだ地形ですから、民話も多く残っているのでしょう。うらやましい土地ですね。

写真撮影日:2003年6月21日


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