妖怪学入門
第一章 民話の発生(現象発生論的側面)
 語り継がれる民話には、大きく分けて二種類があります。
 一つは、空想から発生する『昔話』や『おとぎ話』であり、もう一つは、そのお話の場所や時代、場合によっては、登場人物の名前などがはっきりしているもの、これは、『伝承』と呼ばれます。
 後者の『伝承』は、実際に起こった話や、これを伝え聞いた人の『うわさ話』が元ですが、前者の場合は、一般に次の様な流れにより、形成されると考えられています。
 まず、なにか、不思議な現象に遭遇する。例えば、「夜の川岸で不気味な音を聴いた」などです。すると人は、考え始めます。「もしかすると、あの音は、河童の鳴き声かも知れない」。そうして、それを、周囲の人に話します。すると、「おう、そうだな。おれも、聞いたよ」。話が、だんだん広まって行きます。そして最後には、「あの川岸には、河童が住んでいて、時々、人を脅かすんだ」と、『不思議』から『(想定)事実』へと変化し、民話になってゆくのです。
 民話や伝承の発生は、『@現象A存在の推定と推察B認知と共有C民話としての定着』の流れを経て、形成されるのが一般的なのです。
 以上は、人為的ではあっても、無意識のうちに発生する民話や伝承であり、ほぼ、世界に共通しているのですが、日本にだけ独特の発生と伝播があります。
 江戸時代のことです。基本的に平和な時代でした。毎日、江戸城に登城している大名達には、これと言って、することは有りません。控えの間に、数時間座っていて、同僚の大名達と雑談をし、昼食の弁当を食べて帰るだけです。そこで、それぞれのお国の、珍しい話を、家来に集めさせ、話題にしていたようなのです。そして、聴いた面白い話を、屋敷に帰ってから家来に話す。家来は、聞いた面白い話を、参勤交代で国に帰ってから、土産話として家族や使用人に話す。そんなことから、同じような民話が、地域的には、まったく別のところに残っていたりするのです。
 お大名達は、日本独特の民話伝播を担っただけではなく、発生にも関与しました。どうも、江戸城内では、とんでもないことえお仕掛けていたようなのです。それは、大名達が、荒唐無稽な『ほら話』を創作し、それぞれを持ち帰り、家来に話し、それが、江戸の町中で、どのくらい、広まったかを競う遊びが流行っていた(大名達の日記に書かれています)ようなのです。いわゆる、『なんとか七不思議』などのたぐいは、そんな、お大名の遊びによって形成されたようです。大名屋敷での『河童発見談』なども、かなり、眉唾です。

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