河童名所探訪
かっぱ寺(曹源寺)と合羽橋界隈


掲載日:2003年6月29日
最終更新日:2004年7月29日

 東武線浅草駅から歩いて10分ほどのところに、飲食店関係の道具街で有名な「合羽橋」があります。

 4車線の広い合羽橋道具街通りと直角に交差する狭い「かっぱ橋(本)通り」に面して、「かっぱ寺」として有名な「曹源寺」があります。

 寺の前には、台東区教育委員会の説明プレートが掲示されています。
「かっぱ寺」の伝承


 伝承によると文化年間(1804〜17)に、当地の住人で雨合羽商の合羽川太郎(合羽屋喜八)という人物がいた。この付近は水はけの悪い 低地でアメが降ると洪水となり、人々は困窮していた。そのため川太郎は私財を投じて排水のための掘割工事にとりかかった。このとき、 かつて川太郎に助けられた隅田川の河童が工事を手伝い、掘割工事が完成した。この合羽を目撃すると商売繁盛したという。

 この伝承が「かっぱ寺」という通称の由来であり、「合羽橋」(合羽橋交差点の付近にあった)という橋の名もまた、この伝承に由来するともいわれる。

 当寺には河童大明神が祭られるほか、合羽川太郎の墓とつたえる石碑があり、「てつへんへ手向けの水や川太郎」という句が刻まれている。

平成十五年三月 台東区教育委員会

 この伝承を元に、創作民話を創りました。


 「合羽橋」の名称については、この説明プレートのほかにも、かっぱ橋の通りにはもう一つの由来説が書かれていました。

 『今の金竜小学校のあたりにあった伊予新谷の城主、加藤家下屋敷に住む侍や足軽が、内職に作った雨合羽を近くの橋で乾かしたことで、 「合羽橋」と呼ばれるようになったという』

 どちらが真実かは、現在となっては判定はできないとは思いますが、後者の方が先であり、「合羽」と「河童」の語呂合わせから、 「河童伝承」が生まれたのではないでしょうかね。


教育委員会のプレート
 寺の門柱の左側に取り付けてあります。

かっぱ寺の門前
 木に覆われていてちょっと判りづらいところにあります。

かっぱ。ぎーちゃん
 門から入った右側にありました。
 説明がないので、由来はわかりません。不思議な像です。
 この曹源寺は禅寺ですが、河童を祭った小さな神社が併設されています。
 お堂の中には、河童の手のミイラとされているものが 収められています。

河童大明神の社

大明神の扁額

軒先の天井絵

お堂の内部(左側から)
 今回は正式な訪問ではなかったので、戸の隙間から撮影しました。

お堂の内部(右側から)
 このお堂の天井には、昭和30年代の日本を代表する漫画家による32枚の絵がはめ込まれています。
河童の池
 石碑と並んで河童の池が造られていました。
川太郎石碑
 教育委員会のプレートに書かれていた石碑です。
かっぱ橋通り(合羽橋交差点)
 かっぱ橋通りと道具街は別の通りです。お互いに直角に交わる位置関係にあります。かっぱ橋通りは、 いかにも江戸下町の通りといった風情のある通りです。
かっぱ橋通り
道具街
ビル壁面の河童
お店の統一看板
 漫画家「小島功」の河童と思います。
案内地図
かっぱ橋通りの歩道敷石絵
 萩原楽一氏の河童でしょう。
調理見本のお店
 外国からの観光客に大人気です。


 あいにくと、小雨の降る日でした。土曜日でもあり、お休みのお店も多く、静かな商店街でしたが、その代わり、 落ち着いて写真が撮れました。河童ですから、カラカラの晴天よりは、雨の日の方が似合っているようにも思えますしね。

写真撮影日:2003年6月28日


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