「合羽橋」の名称については、この説明プレートのほかにも、かっぱ橋の通りにはもう一つの由来説が書かれていました。 『今の金竜小学校のあたりにあった伊予新谷の城主、加藤家下屋敷に住む侍や足軽が、内職に作った雨合羽を近くの橋で乾かしたことで、 「合羽橋」と呼ばれるようになったという』 どちらが真実かは、現在となっては判定はできないとは思いますが、後者の方が先であり、「合羽」と「河童」の語呂合わせから、 「河童伝承」が生まれたのではないでしょうかね。
あいにくと、小雨の降る日でした。土曜日でもあり、お休みのお店も多く、静かな商店街でしたが、その代わり、 落ち着いて写真が撮れました。河童ですから、カラカラの晴天よりは、雨の日の方が似合っているようにも思えますしね。 写真撮影日:2003年6月28日
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