河童名所探訪
牛久沼の河童


掲載日:2003年8月14日
最終更新日:2004年7月29日


 茨城県の南部、牛久市周辺に広がる牛久沼、ここにも多数の河童伝承があります。

 また、この沼の河畔には、河童の絵で有名な明治大正期に活躍した文化人、「小川芋銭」の晩年の住居「雲魚亭」があります。

 シトシトと雨が降り続く寒い夏休みの1日、日帰りで探訪してきました。

牛久沼の河童伝承


河童松伝承
 牛久沼には河童が住んでいて、畑を荒らしたり子供をおぼれさせたりと住民に迷惑をかけていた。そこで、村一番の水泳の達人、彦衛門が河童退治をすることになった。
 数日間、沼を泳ぎ河童を探した彦衛門は、ついに河童を捕らえ、陸に引き上げ、松の木に縛り上げてその姿を村民にさらした。
 松の大木に縛られた河童は、二度と悪さはしないと、泣いて村民に訴えたので、哀れに思った村民たちは、河童を沼に帰すことにした。
 それ以来、河童は悪さを止めただけではなく、沼の周囲の葦を刈り取るといった村人の手伝いまでするようになった。
 改心し、約束を守っている河童の心根に勘当した村民は、お礼として「かぴたり餅」を造り、沼にそそぐ川へ投げ込んだ。
 それからは毎年十二月の一日に、水の安全を祈る行事として、餅を投げる習慣になった。


河童の秘薬
 江戸での修行を終え、帰宅する途中の医者が、牛久沼にさしかかったとき、草むらに妙なものが落ちてい。医者は不思議に思い、それを持ち帰ることにした。
 帰宅し、くつろいでいた深夜、家の戸を叩く音がする。いぶかりながらも戸を開けてみると、そこには小さな老人が立っていて、
「私は牛久沼の河童ですが、人間のワナにかかり手を切り落としてしまいました。河童には、どんな怪我でも治せる秘薬があるので、その手を返して欲ください。 お礼に、秘薬の造りかたを教えてあげます」
 半信半疑ではあったが、拾った手を老人に返すと、数日たってまた老人が現れ、お礼にと秘薬の造りかたを書いた巻物を置いて行った。
 医者は、巻物に書かれていた処方通りに薬を造り、試してみると、その薬効は驚くばかりだった。医者はこの薬を「万応膏」と名づけ用いるようになった。
 この薬のおかげで、多くの人が救われたことから、人々は河童のおかげだと喜び、それ以来、牛久沼ではワナをしかけることは無くなったとのことだ。


河童のおくり提灯
 夜更けに牛久沼の岸を通ると、どこからともなく現れた提灯が行く手を照らしてくれる。前に進むと提灯も進み、まるで案内をしてくれているようだった。  人々は「きっと河童が道案内をしてくれているのだ」と言い合った。

置いてけ沼
 畑で取れた野菜を籠にいっぱい入れて牛久沼の岸を通ると、沼の中から「おいてけ、おいてけ」と河童が呼びかけた。
 しかたなく百姓は、籠から野菜を降ろし家に帰ったが、妙に籠が重かったので、籠の中をのぞくと、空のはずの籠の中には、うなぎや魚がいっぱい入っていた。

河童囃子
 夏の夜更けになると、どこからともなく囃子の音色が聞こえてくる。どこから聞こえてくるのだろうと探してみると、牛久沼の方角ではあるが、そこにはだれもいない。 きっと、河童の囃子だろうということになった。


 この伝承を元に、創作民話を創りました。


河童の絵のミニバス
 小川芋銭翁のお墓のある得月院の向かい側に駐車場があります。そこに、市が運営する観光用のシャトルバスが停まっていました。
散策コースプレート
 駐車場にありました。ここから、歩いて「アヤメ園」「雲魚亭」「住井すゑ『抱僕舎』」などを周遊できます。

境内の説明プレート
 小川芋銭翁のお墓を説明しています。

小川芋銭翁墓標
 観光用に造られた碑ではなく、小川家のお墓地の中に、ひっそりとあります。
観光アヤメ園入り口
 花の季節はもう終わっていて、ほんの数輪だけが咲いていました。広さがかなりあり、満開の時ならば見事でしょうね。
アヤメ園の河童像
 花壇の中央部に、うつむいて考え込んでいるような河童のブロンズ像が座っていました。

橋の河童像
 アヤメ園に降りるその上の道は、牛久沼にかかる橋になっています。その橋の傍に、アヤメ園のものと同じ河童が座っています。
牛久沼
 橋のたもと、河童の像のところから見た牛久沼です。

小川芋銭河童の碑
 雲魚亭の入り口の近く、牛久沼を見下ろすところに、河童の碑が建てられています。


河童の碑説明プレート
 碑の右側に掲示されている説明プレートです。

雲魚亭説明プレート
 普通の大きな農家の庭先に、ひっそりと「雲魚亭」はありました。
雲魚亭玄関
 晩年になってから、母屋の前にアトリエ兼隠居所のようにして建てられた家です。
雲魚亭縁側
 玄関のある側以外はすべて廊下(縁側)になっている面白い造りです。3部屋が横に並んでいます。

カッパ松の説明プレート
 伝承に残っている「河童松」を説明しています。
雲魚亭の碑とカッパ松
 左側の松の木が、河童を捕らえて縛りつけた松なのだそうですが、樹齢500年を経て枯れ、これは二代目のまだ若い木です。


カッパ松のところから見た雲魚亭


 雲魚亭の縁側のすぐ前にはカッパ松があります。そしてその先はなだらかな傾斜で牛久沼の岸に続いています。ここからは、牛久沼の最も広い部分が見えます。


小川芋銭翁のこと
 慶応四年、牛久藩の江戸屋敷にて、藩大目付の長男として生まれる。本名「小川茂吉」

 洋画を学んだ後に独学で漢画や日本画を学び、独特な漫画を描くようになる。俳句雑誌「ホトトギス」などの挿絵や表紙を描き画家として有名になる。河童の絵を好んで描き、「河童百図」を著している。

 絵ばかりではなく、書道・随筆・俳人としても優れた業績を残している。



 群馬県の自宅からは、片道100キロほどの距離です。ただ、一般道でしたから、意外なほど時間がかかりました。

 鶴が舞う形の群馬県の、口ばしのところを通る道なので、群馬県・埼玉県・栃木県・千葉県・茨城県と、めまぐるしく県境を出入りするドライブでした。

 牛久沼の河童というと、かなり有名ですから、面白いグッズなどが手に入るかと思い、期待していたのですが、それらしいお店は無く、まったく入手できませんでした。 そのことだけが、ちょっと残念です。

写真撮影日:2003年8月12日


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A.Sasaki@kappauv.com 佐々木