河童名所探訪
湯檜曽のカッパ柳


掲載日:2003年9月15日
最終更新日:2004年7月29日

 群馬県の河童、その第3回目になります。

 群馬県の最北部の温泉街、水上のすぐ北隣に、小さな温泉街「湯檜曽(ゆびそ)」があります。

 この温泉街は、利根川の支流である湯檜曽川に沿って通っている道に面して並んでいます。温泉街を北に通り過ぎるとすぐ右側に、朝日神社という、小さな社があり、その庭に植わっている 柳の大木が「かっぱ柳」と呼ばれている古木なのです。

カッパ柳の伝承


 昔、この湯檜曽の地域を開発した有力者であった阿部家には、傷に良く効くと評判の家伝薬があった。

 その薬の由来は、かつて阿部家の先祖が、悪戯をして近在の田畑を荒らしていた河童を捕らえたとき、罪を許し解放する代わりにと、河童から 処方を教えてもらった薬だった。

 そして、その薬には、朝日神社の境内にある、柳の木を原料として使っていたとのことだ。


 この伝承を元に、創作民話を創りました。


国立公園碑
 この地域いったいは、上信越高原国立公園に指定されています。


湯檜曽温泉街遠景

 山の中にあって、川辺の温泉街というと、なぜか、その川には赤い欄干の橋が掛かっていて、橋を渡ると、温泉街に入って行きます。ここ湯檜曽温泉街もまさにその通り、典型的な旧式温泉街です。
橋の下の清流

 橋の上から、流れる水を撮影してみました。澄んだ美しい水が流れていました。

朝日神社への道
 温泉街を北に抜けたところの右側にこの道があります。写真は北から南を写しています。右側の本通り(291号線)と鋭角で交差しているので、南から走ってくると見落としてしまうほどの細い道です。
通りから見上げた朝日神社
 291号線から右に見上げたところに、朝日神社の古びた社が、木々の間に見えます。
朝日神社参道
 参道の石段には、途中に鳥居があり、その手前には、水をたたえた手洗いがあります。
朝日神社の名前入り柱
 名前の入った柱は、かなり痛んでいますが、鳥居の前には、大きな金属の柱が設置されており、祭事は今でも行われていることがうかがえます。
朝日神社の社
 朱塗りは剥げ、痛みも激しいですが、それほど古くない補修の跡もあり、中には新しい神輿(木材と紙の簡素なものですが)が置いてありました。
朝日神社の額
 古く荒れている社ですが、形式はしっかりと整っています。
カッパ柳の名入り柱
 古木の根元に建てられています。
柳の左側


 根元の幹は割れています。そこから、比較的に若い幹が伸びて葉を付けています。

柳の右側
 無残に根元が割れて、樹木は倒れています。しかし、これも幹は比較的に若い。どうも、左右は元は同じ大木だったのが、割れ、中央部が脱落し、左右に分かれて生きているのではないかと思います。
左右の柳遠景より
 おそらく、以前は中央部にそそり立つ巨木だったのではないかと思われます。元の樹齢は数百年でしょうね。
柳の前から参道をのぞむ
 たったこれだけの、ごくごく小さな境内です。さて、この柳から作られた薬とは、どんなものだったのでしょうかね。


 河童に関してはまったく観光化されてはいません。おそらく、地元の人にもあまり知られていないのではないでしょうか。すぐ近くの水上には「道の駅」もあり、地元の工芸品や物産を売っていましたが、河童に 関係するものはなにもありませんでした。ちょっと残念ですね。

 東京からは、関越自動車道の水上インターチェンジで降り、水上を北に通り抜けると5キロほどで「湯檜曽温泉街」に入ります。

 温泉街と言っても、県道291号沿いに、数百メートルしかない、小さな鄙びた温泉街です。昨今の近代化された温泉街ではなく、古い昔の温泉街がここにあります。

 なを、この湯檜曽川では、渓流をゴムボートやカヤックで下ることができるようです。そんな関係のお店や施設が立ち並び、山の中の田舎には不似合いな若者たちの姿を多数見かけました。

写真撮影日:2003年9月15日


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A.Sasaki@kappauv.com 佐々木