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道を曲がると、まず目に飛び込んできたのがこの光景です。
道に沿うように張り出し据えられた小さな赤い祠の左右には、「もどり河童大明神」と「お祭り」と染められたのぼりが立てられていました。
背後は竹と雑木の林です。スピードを上げていたら、何だか解らないうちに通り過ぎるでしょね。
実際、通り過ぎてから引き返してくる車が多かった(^ム^;)
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通り過ぎて振り向くと、そこには、「かっぱ祭り」が開催されているとの手作りの看板が出ていました。
前回は、近くまで来ていながら、この場所が解らず、参加ができませんでした。
妻が同伴していたこともあり、あきらめ、食事をして単なるドライブとしゃれ込んだのですが、気持ちは残念でなりませんでした。今日こそは、
全体に見つけてやる。そんな意気込みだったのですから、この看板を見つけて、本音、ホットしました(^ム^;)
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祠の裏では、なにやら人が集まり、談笑をしていました。
集まっているのは中年から初老の人たちでした。大きなバーベキューコンロで肉や野菜を焼きながらの談笑です。
実に楽しそうにしていはいるのですが、河童のイメージとはまったく違うので、ちょっと声を掛ずらかったというのが、私の本音です。
まるで、芋煮会をしているような感じなのですから。
まあ、それはそれとして、周囲は竹と雑木の林。とても、道路のすぐ側とは思えないほどの気持ちの良い雰囲気です。
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祠の右側には、ビニールシートの仮設の屋根の下に、農産物や竹の工芸品が置かれていました。
河童を、地域の村おこしに使う、それもまあ、良くあることなので、これはこれで良いと感じました。
並べてある物も、最近は良く見かける、農産物直売所のように、妙に商業的でないところが好感を持てました。
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看板の下には、絵馬らしきものが吊るされています。
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祠の右後ろには、この地の伝承(赤地山あめんぼう伝説)と、「もどり河童」の由来を書いた看板がありました。
古くからこの地に「もどり河童」の伝承があったかのように書かれていますが、ちょっと疑っています。創作したのではないかと(^ム^;)
というのは、たまたま取材に来ていた地元紙の記者のインタビューに答えていた女性の語るところでは、この空き地を整地し、
仲間の溜まり場にしようとの作業中に、ある道具が無くなったそうです。その後、河童を安置すると、見当たらなかった物が出てきた。
戻ってきた。また、物覚えの悪くなっていたおばあさんが、この河童に拝礼するようになってから、忘れていた物や事を思い出すようになったことから、
この空き地のシンボルマークに決めていた河童像に、「もどり河童」と私が名づけたと言っていたからなのです。
まあ、伝承の始めなんて、そんなものかも知れませんね。現代の話では権威がないと思うのでしょう、昔からの話として創作する。それが、伝承として残る。
それで良いのでしょうね。
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