河童名所探訪
もどり河童大明神(群馬県富士見村)


掲載日:2004年7月28日
最終更新日:2008年7月29日

 2005年になって、情報が入り、現地には神社が無くなっているとのことでした。その後、復活しているとの情報も入っていて、気になっていましたが、 行くチャンスもなく、しばらくそのままになっていました。

 2008年の7月29日、確認のため、行ってみました。


 場所は、以前と変わっていませんでした。ただ、樹木との位置関係から、祠が後ろの方に移動しているのが解ります。

 祠の前には、赤い鳥居が新たに据え付けられています。祠も屋根の形が変わり、扉の色も赤から緑に変わっていました。

 以前は白木板に手書きの説明看板でしたが、業者が作った看板に変わっています。

 祠の中の河童ご神体は、銅製と思われる座像の河童になっています。格子戸の隙間から撮影しました。

 2004年の取材の後、河童連邦共和国の故清水氏が訪問し取材をしています。その時には、毎月1回集まりをしているとのことでしたが、今でも続いているのでしょうか。
写真撮影日:2008年7月29日


 河童掲示板にご紹介の書込みがあり、案内ををいただいていたのですが、4月に開催された第1回の祭りの日は、場所が見つからず、 周囲をドライブしただけ、すぐ近くの「蕎麦街道」で食事をしただけで帰ってしまいました。

 第2回のお祭りのご案内をいただいたので、今後は慎重に地図を確かめて出かけました。

 赤城山の南面、前橋から山頂まで続く街道を北に上り、赤い大きな鳥居を超え、右手に馬事公園を見ながら通り過ぎ、蕎麦屋が並ぶ「蕎麦街道」を抜け、信号を 右に折れると、すぐ近くに、「もどり河童大明神」ののぼり旗が目に付きました。

 今回は無事にたどり着けたのです。


 道を曲がると、まず目に飛び込んできたのがこの光景です。

 道に沿うように張り出し据えられた小さな赤い祠の左右には、「もどり河童大明神」と「お祭り」と染められたのぼりが立てられていました。

 背後は竹と雑木の林です。スピードを上げていたら、何だか解らないうちに通り過ぎるでしょね。

 実際、通り過ぎてから引き返してくる車が多かった(^ム^;)
 通り過ぎて振り向くと、そこには、「かっぱ祭り」が開催されているとの手作りの看板が出ていました。

 前回は、近くまで来ていながら、この場所が解らず、参加ができませんでした。

 妻が同伴していたこともあり、あきらめ、食事をして単なるドライブとしゃれ込んだのですが、気持ちは残念でなりませんでした。今日こそは、 全体に見つけてやる。そんな意気込みだったのですから、この看板を見つけて、本音、ホットしました(^ム^;)
 祠の裏では、なにやら人が集まり、談笑をしていました。

 集まっているのは中年から初老の人たちでした。大きなバーベキューコンロで肉や野菜を焼きながらの談笑です。

 実に楽しそうにしていはいるのですが、河童のイメージとはまったく違うので、ちょっと声を掛ずらかったというのが、私の本音です。 まるで、芋煮会をしているような感じなのですから。

 まあ、それはそれとして、周囲は竹と雑木の林。とても、道路のすぐ側とは思えないほどの気持ちの良い雰囲気です。
 祠の右側には、ビニールシートの仮設の屋根の下に、農産物や竹の工芸品が置かれていました。

 河童を、地域の村おこしに使う、それもまあ、良くあることなので、これはこれで良いと感じました。

 並べてある物も、最近は良く見かける、農産物直売所のように、妙に商業的でないところが好感を持てました。


 看板の下には、絵馬らしきものが吊るされています。
 祠の右後ろには、この地の伝承(赤地山あめんぼう伝説)と、「もどり河童」の由来を書いた看板がありました。

 古くからこの地に「もどり河童」の伝承があったかのように書かれていますが、ちょっと疑っています。創作したのではないかと(^ム^;)

 というのは、たまたま取材に来ていた地元紙の記者のインタビューに答えていた女性の語るところでは、この空き地を整地し、 仲間の溜まり場にしようとの作業中に、ある道具が無くなったそうです。その後、河童を安置すると、見当たらなかった物が出てきた。 戻ってきた。また、物覚えの悪くなっていたおばあさんが、この河童に拝礼するようになってから、忘れていた物や事を思い出すようになったことから、 この空き地のシンボルマークに決めていた河童像に、「もどり河童」と私が名づけたと言っていたからなのです。

 まあ、伝承の始めなんて、そんなものかも知れませんね。現代の話では権威がないと思うのでしょう、昔からの話として創作する。それが、伝承として残る。 それで良いのでしょうね。


 この会の代表をされている「河野さん」とお話をさせていただきました。

 どうやら、会の趣旨は、仲間が集まり、楽しくがやがや、飲み食いして楽しもうということのようです。

 河童の研究をするとか、水や環境を考えるというのではなく、河童はあくまでも「シンボル」のようなのです。

 それが河童でも馬でも狸でも、なんでも良かったのでしょう。たまたま、河童が選ばれた。でもまあ、それも良いと思います。いえ、私としたら、河童で良かった(^0_0^)

 私は、水と環境、河童や民話にこめられた民衆の心、それを考えるための河童研究なのですが、河童もそれぞれ、愛好する人もそれぞれ、 私の価値観を押し付けるつもりはありませんからね。

 これからも、3ヶ月に1回くらいの感覚で、「もどり河童大明神祭り」を開催するとか。がんばって続けてくださいね。そしてもし、その気になったら、 河童連邦共和国の村を創って欲しいと思います。

 待っていますよ、河野さんとお仲間のみなさま。

写真撮影日:2004年7月25日




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