河童名所探訪
宮城県色麻町の河童


掲載日:2004年7月20日

 この「河童名所探訪」をご覧になった方から、宮城県の色麻町を紹介していただきましたので、休日を使い、1泊二日の取材旅行をしました。

 東北自動車道を「泉インターチェンジ」で降り、国道4号を北上、大和町で国道457号に転じてなおも北上、10キロほど走り、色麻町入りました。
色麻町の河童伝承
 お河童さま

 昔、ある殿様の館に夜な夜な河童が現れ、かわや(トイレ)のお姫様に悪さをした。そこで女装した若侍が、 かわやの中で河童の腕を切り落とした。
 河童は罪を悔いて腕を返してもらい、交換条件として霊薬河童膏を贈った。もちろん河童の腕はピタリと元どおりに治った。 若侍もこの河童膏の神通力で、輝かしい武功をたてたという。

 今から15・600年前、坂上田村麻呂将軍が、東夷征伐の折、その先導をつとめた河童東右衛門という男が町内の一の 関地区に永住した。その後、子孫たちによって祀られた磯良(いそら)神社は、一名河童大明神と呼ばれている。
 神社のうしろを流れる河童川から東右衛門の家に、河童が挨拶に来たという。
 河童様にあげないうちには、キュウリは食べてはいけないといって、初物キュウリは必ず川に流す風習が現在も続けられている。
 河童が挨拶にきたという東右衛門の子孫は、代々河童川の姓を名乗って河童さまの神主さんである。
 河童川が鳥居のあたりから西に流れ、河童邑があり、そこに川童さんという姓の人が住んでいるのは珍しいことである。
色麻町ホームページより

 後半は伝承というよりは伝記ですね。

 この磯良神社は坂上田村麻呂により西暦804年に勧請されたとの伝承が残っているそうです。

 ご神体は十五センチほどの木彫りの河童像、60年に1度だけ開帳されるとのことです。神主は河童崇氏、戸籍上の苗字が河童とは珍しいですね。

 伝承にもある「河童膏」は、秘伝の製法で造られ、十年ほど前までは磯良神社で「川童相伝 河童膏」として販売されていたそうですが、残念ながら今ではやめてしまっているとのことです。

 「東右衛門」という人は、元々河童を信仰していたのか、それとも、河童川という名前が先にあり、その周辺に領地を持つ 豪族だったから、「河童」を苗字にしたのか。はたまた、河童を「川童」とも呼ぶようですから、川を生業にした農業と漁業の民衆を「川童」と呼び、 「東右衛門一族」は、その「束ね」だったのかも知れません。

 河童大明神は、その豪族の守護神社神として祀られているのでしょう。

 前半に書かれている伝承は、形を少しづつ変えて、全国に類似の伝承がありますね。






 色麻(しかま)町の観光案内図です。国道457号(見にくいですが、黄色の線です)は、町の東の外れを南北に通っており、 役場は北東部、道に面して左側に建っています。町は、東西に長く、川に沿って山の奥にまで広がっている自然環境の豊かな町です


 国道457号が、色麻町に入るところに建っている案内ポールです


 町役場の庭には、シンボルマークの河童像(河童のカッペイ君)がありました。ちょっと、おっさんポイ河童ですね

 細長い町の中央部北に、温泉センター「かっぱのゆ」があります。7体の河童がお出迎えしています

 正面の入り口です


 中に入ると、広いロビーがありました。ここで料金を払い、入場することとなります。1日千円、3時間では500円。郵政公社の簡易保険が融資をしている施設です

 温泉センターに併設された農産物の即売所の前に、七夕飾りがありましたが、その根元には、藁で作られたオブジェが。おそらく、馬なのでしょうね

 センター前の右側です。低い山の手前には、水田や果樹園が広がっています

 センター前の左側です。山に挟まれた細長い平地であることが解ります

 国道と、町外れの川とに挟まれた高台には、農産物の即売所であるベジタブルハウスがあり、庭には河童の親子が遊ぶ池があります

 池の中央部の親子の像です
(画像をクリックすると大きく表示されます)



 ベジタブルハウスと役場の途中、国道にかかる橋(河童橋)には、2体の河童像が据え付けられています

 橋の南側の河童像です




 この色麻町が、河童の町である起源は、川童明神(おかっぱさま)を祭る「磯良神社」があるからです

 「磯良神社」の社です。


 境内には、河童の像がいくつもありました。蛙と相撲をとる河童です

 すわってポーズをとる河童2体です。古いものではなく、平成元年と刻んで有りました

 子供の耳を掃除する母親の河童なのでしょうね


 魚を前に、何か考え込んでいる老人の河童です。毛糸の帽子のようなものをかぶっているのが珍しい河童像です

 社には、子供の河童像が置かれていました。河童祭りに、子供神輿として使われるのでしょう

 社に掛かっている奉納額にも、祭りにうかれる河童の絵が描かれています

 この神社と河童の伝承を説明したパネルなのですが、残念ながら上部3分の1くらいが隠れて読めませんでした


 社務所の中にあった、紙で出来た河童人形です。河童祭りに使うのでしょうね

 社務所には、「河童祭」のポスターが貼られていました。撮影した日の5日後です、残念ながら、ちょっと早く来てしまったようです


 ちょうど1年前の同じ日は、遠野に河童探訪の旅でした。この季節、東北はまだ梅雨の最中、今回も雨が降ったり止んだりの中での撮影でした。まあ、 水とは仲良しの河童の取材ですから、雨はしかたなないのでしょうね。

 朝の9時過ぎに自宅を出発、豪雨の東北自動車道を走り、色麻町で取材をして仙台まで戻っての宿泊でした。夕食をとった居酒屋で、この町の河童の話を したところ、居合わせただれも、色麻町の河童を知りませんでした。そんな意味では、「知る人ぞ知る」、河童の穴場なのかも知れませんね。ちょっと宣伝不足なのかな。

 今回の探訪旅行では、収穫がもう1つありました。今年の4月に発行された民話の本を手に入れたことです。「狼の眉毛 陸前・陸中の昔話」です。仙台の出版社の本ですから、 他の地方ではなかなか手に入りづらいですからね。

 偶然に見つけたのですが、こんな本との出合いも、地方旅行の楽しみの一つですね。

 この本については、別のページ、「河童・民話資料館」で紹介します。

写真撮影日:2004年7月19日


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A.Sasaki@kappauv.com 佐々木